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後にプロで活躍した江川卓(作新学院)、達川光男(広島商)らが出場し、注目を集めた昭和四十八年夏の甲子園。静高は植松精一(昭49卒)、水野彰夫(同)、白鳥重治(同)ら強力打線が本領を発揮、県大会はコールド勝ちを重ねる。春季県大会、東海大会といずれも決勝で逆転負けを喫した最大のライバル静商も準々決勝で姿を消し、敵なしの強さで全国に駒を進めた。 甲子園では打線がさらに破壊力を増す。初戦の長崎海星戦は、植松の本塁打をはじめ、十二安打の猛攻で10得点。続く天理戦でも植松、永島滋之(同)の猛打が爆発、7点を挙げる。投げては二年生エース秋本昌宏(昭50卒)が二試合を連続完封した。 準々決勝は、作新学院を破り勢いづく銚子商戦。5―2で最後の守りを迎えたが、土壇場で反撃に遭う。連続安打で一点を許した後も安打を浴び、四球で逆転の走者を歩かせると秋本はマウンドに座り込んだ。一死満塁の大ピンチ。次打者の強烈な遊ゴロが幸運にも二塁走者の足に当たり、最終打者もゴロに打ち取って逃げ切った。 準決勝は十四安打、6―0と今治西を完封、実に四十六年ぶりの決勝進出を果たす。広島商戦は、野島譲監督が「甲子園史上に残る名勝負と評される、思い出深い試合」と語る通り、両校必死の攻防となった。 初回に二点の先制を許した静高は、毎回のように無死の走者を出しながら攻め切れない。六回には無死から永野、植松が長短打で出塁するが、右中間に抜けると思われた水野のライナーが、二塁手の好捕に遭って併殺。直後、白鳥に二塁打が出てようやく一点を返した。 同点に追い付いたのは八回。先頭の植松が三塁打を左中間へ放ち、水野が高々と犠飛を打ち上げる。植松が悠々と生還すると、スタンドは沸きに沸いた。しかし九回は勝ち越しの走者を迎え入れることができず、その裏、一死二、三塁のピンチを迎える。ベンチは満塁策を取るが、巧みにスリーバントスクイズを決められ、サヨナラ負けの幕切れとなった。 その後主力選手は日韓高校親善野球、国体でも活躍。甲子園で4割5分をマークした植松は国体準々決勝で江川と初対決、試合は0―5と完敗ながら、二塁打を放ち存在感を示した。植松は江川と同じ法政大に進み、六大学リーグ四連覇の黄金期を築く。卒業後はドラフト二位で阪神入りした。 (文中敬称略) (火、水、木曜日に掲載します。) |