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第2章 人物誌

(2003年9月3日掲載)
創立100周年に力量発揮
野球部・戦後3

創立100周年に甲子園行きを決め、歓喜するナインら=昭和53年、静岡球場

 県内高校野球は、昭和四十年代後半から、東海大一、東海大工、静岡学園など私学が台頭。静高は昭和五十一年夏、準決勝で東海大一に五時間余の激戦の末敗れるなど、数々の苦杯をなめる。苦しむ中で創立百周年を迎えた五十三年、OBらの間では「百周年に甲子園へ」の大合唱がわき起こった。

 過大とも言えるプレッシャーの中、静高は成長著しい左腕の二年生エース太田智之(昭55卒)の好投、主将山本浩孝(昭54卒)の好打に支えられ、延長戦を次々に制して県大会を勝ち上がる。決勝の東海大工戦では、脇腹痛で太田が降板するハプニングもあったが、池田一義(昭54卒)が継投、全員野球で執念の勝利をもぎ取った。

 この年は甲子園でも、最後まで粘りを見せた。一回戦は鹿児島実を相手に、安打数を下回りながらも、失策を誘い4―3で勝利。続く二回戦の熊本工大付戦は、延長十三回の接戦の末、3―5で敗れはしたが、足を絡めて九回の土壇場で同点に追い付き、一打サヨナラの場面を生み出しスタンドを沸かせた。

 五十四、五十五年は、連続で選抜出場を果たす。しかし、夏になると故障者が出てチーム力は整わず、惜敗が続いた。

 五十七年になると、四十二年の対外試合禁止を主将として経験した船川誠(昭43卒)が監督に就任。現役時代の悔しさを吹き飛ばすかのように、一年目で夏の甲子園出場を決める。大久保学(昭58卒)が投打に活躍、ノーシードから勝ち上がり、決勝の富士高戦では二本の本塁打を放った。

 甲子園では、初戦でその年の優勝校、強豪池田と対戦、先制点を挙げるなど善戦するが、2―5と力及ばず涙をのんだ。

 六十二年にも二年生エース赤堀元之(平元卒)らの活躍で甲子園に乗り込むものの、初戦の壁が厚く立ちはだかった。初戦敗退を脱するのは、平成十一年。左腕高木康成(平12卒)を擁し、春夏連続で甲子園へ出場、夏はベスト16の成績を残した。

 創立百二十五周年を迎えた今夏も、畑田裕視監督の下、劇的な逆転勝利を重ね、持ち前の粘りで県大会を制覇。甲子園も十一年に続いてベスト16まで進出、静高野球の健在をアピールした。

 卒業後、大久保は南海(現ダイエー)、赤堀は近鉄に入団。高木も近鉄入りし、現在故障からの回復が期待される。望月一(昭62卒)、山崎一玄(平3卒)は静高時代は球運に恵まれないながらも、広島、阪神でプロとして活躍した。

(文中敬称略)

(火、水、木曜日に掲載します。)



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