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第2章 人物誌

(2003年9月17日掲載)
学校対抗と複で全国V
テニス部

学校対抗とダブルスでインターハイを初制覇したメンバー=昭和41年、秋田市

 テニス部は昭和三十四年、インターハイダブルスで大地千秋高橋道男が準優勝、学校対抗でも松下充孝野村昌亨(以上昭35卒)らを加え三位に入賞、全盛期が幕を開ける。三十六年にはダブルスで川口隆史(昭37卒)、加藤宏成(同)が準優勝。三十八年には沢松忠幸(旧姓石川)、田中栄三(旧姓小池)、秋山政行成沢克彦陰山正敏(以上昭39卒)、小長井彰(昭40卒)が学校対抗で準優勝を飾った。

 苦杯に学び、あと一勝の壁を打ち破るのは四十一年。学校対抗は森舜比古宮下好人関恒夫山中誠岩崎大二郎(以上昭42卒)、湯浅修一(昭43卒)の快進撃で、準々決勝へ。福岡の強豪柳川と対戦する。

 コート二面で同時に始まった単複二試合は、どちらも劣勢に追い込まれた。ダブルスがマッチポイントを取られ嫌なムードが漂った直後。山中のリターンエースが、センターに鮮やかに決まる。隣のコートの森も刺激され形勢は一転。両試合で逆転勝利した。

 準決勝、決勝は一方的な試合運びで圧勝。初の全国制覇を果たす。ダブルス決勝は歴史に残る静高対決で、森・宮下組が優勝、山中・関組が準優勝と上位を独占した。

 勝利の陰には、二十九年から十数年部長を務めた生物教諭、鈴木敏朗がいた。テニス経験はなかったが、早大監督の福田雅之助、法大監督の松本武雄、早大出身で現県テニス協会理事長の宇田川喜八郎ら優秀な指導者を招き、道筋を付けた。インハイで惜敗し、早大卒業後母校でコーチとなった大地も貢献。大地は高校の硬式テニス導入に尽力し、現在は県テニス協会事務局長。

 全盛期の一翼を担った沢松は立大、協和発酵でプレー、ウインブルドン混合ダブルスにも出場した。プロテニスプレーヤー沢松奈生子は長女。

 テニス部は戦前も活躍し、十三年、十七年に関東中学選手権で優勝。主力永田尚三(昭19卒、故人)はOBの組織化に力を注いだ。戦後は大地の兄不二雄(昭29卒)が高校ダブルス四位にランクされ、早大では全日本ダブルスランキング二位、デビスカップ候補選手にもなった。

 女子は三十九年、計良智子(旧姓遠藤、昭41卒)、小林洋子(旧姓生田、同)が初めて入部し、インハイ、国体に出場。平成五、六年には高橋雅子(旧姓内藤、平7卒)がインハイ、国体に連続出場を果たした。

(文中敬称略)

(火、水、木曜日に掲載します。)



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