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三十年にわたり、激変を遂げたロシアの動向を追ってきた望月喜市(昭26卒)。静高卒業後、一橋大商学部、同大学理論経済学研究科で経済政策を学び、次第にソ連(当時)の計画経済の研究に没頭した。「経済政策によって不況や失業をどう防ぐかという問題意識があり、処方せんを求めた。イデオロギー的なあこがれもありました」 当時激論が交わされていた社会主義への利潤導入や、経済効率化のための数理モデルなどを論じた博士論文が、ノーボスチ通信社日本支社が革命五十周年を記念して行った出版図書コンクールで一位に入賞。初めてモスクワを訪れた。 その後、昭和四十八年、文部省(当時)派遣の交換留学生として再びモスクワへ。一年三カ月滞在し、モスクワ大で数理派の計画理論や企業刺激制度などを研究した。「当時のモスクワは清潔で秩序ある印象でしたが、橋や空港などの写真撮影が禁止されており、管理された秩序だと感じた」 帰国後は、北大スラブ研究センター教授になり、後にセンター長を務めた。ゴルバチョフの登場、ソ連崩壊、新生ロシア発足とエリツィン、プーチン政権の動向まで、激動のロシアを見つめ続けてきた。 ゴルバチョフが登場し、情報開示が進むと、有志とともに「日ロ北海道極東研究学会」を組織し、ロシア科学アカデミー極東支部経済研究所(ハバロフスク市)を拠点に活動するロシア人研究者との合同シンポジウムを開催。定例化し、昨年十回目を数えた。平成六年の退官後は、北海道新聞情報研究所の客員特別研究委員として、ファクスニュース「ロシア経済スコープ」の執筆を九年にわたり担当した。 今年の経済成長率が7%に達し、財政も黒字に転じたロシア。「G8入りを果たすなど外交的にも成功している」と現政権を評価しつつ、「石油依存から抜け出すこと、国内の経済格差を是正することが急務」と課題を指摘する。最近は日本のエネルギー問題についても発言し、中近東への原油の輸入依存度を引き下げ、極東からの輸入路を開拓するよう提言している。 戦中戦後の混乱期を静中、静高で過ごした。死と隣り合わせの日々をくぐり抜けた後の、戦後の奇妙な明るさを覚えている。「民主化の象徴として始まったホームルームが新鮮だった。敗戦を信じられないと思う半面、浮き立つような開放感がありました」 (文中敬称略) (火、水、木曜日に掲載します。) |