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江戸時代から呉服の街として栄えてきた静岡市呉服町。手芸用品店「マツナガ」社長の松永泰昌(昭32卒)は昭和六十三年七月、四十八歳の若さで商店組合「静岡呉服町名店街」の理事長に就いた。 全国展開する大型店が郊外に進出を始め、既存の商店街は危機感を抱いていた。市の商店街再生事業に合わせて、十六代続く洋品店「ふしみや」社長の大村吉俊(昭36卒)、県内大手レコード店「すみや」社長の川辺哲(昭41卒)、洋品店「モード・モリ」社長の森恵一(昭42卒)ら若い店主が役員に加わり、硬直化していた組合の立て直しに取り組んだ。 「立地に恵まれた呉服町もいい商品がなければ客は大型店に取られてしまう。ほかでは売っていない物を売る商店街にしなければ」と、大村らが考案したのが、店ごとにオリジナル商品を開発する「一店逸品運動」。約八十の加盟店が一団となって新商品を生み出し、一緒にPRする方法は、当時は斬新なアイデアだった。 「人をまとめ、資金を集めるのに苦労した」と大村は振り返る。組合の活動に関心の無かった店主を引っぱり出し、県中部の三十万世帯に新商品を紹介するチラシを配布するため、組合費をやり繰りした。 五年がかりで実現した運動には予想を超える反響があった。各店の新商品は飛ぶように売れ、店主は自分の企画に自信を深めた。全国から視察団も訪れた。 大村、森が理事長職を継ぎ、新しい事業を打ちだした。商店街のコンセプトを五色で表現したCI戦略、「呉服」にちなみ着物で訪れた客へのサービス企画「札の辻でござる」、郊外のお年寄りや観光者に向けた「駿府浪漫バス」の運行―。短期間、持ち回りで役職を務める若い店主が活発な活動を支えている。 大村が提唱した「百年委員会」は、百年後でも生き残れる商店街を目指す取り組み。景観や店舗の共存を守るため、地主に良い建物と良いテナントを確保してもらうように働きかけている。 庁舎の移転や大型店の進出、バブル後の税金の増加など、商店の生き残りは厳しさを増す。「大事なのは一団となって取り組むこと」と大村は強調する。「組合の取り組みに、ほとんどの店主が参加してくれる商店街はほかにない。店ごとの個性で大型店と勝負し、にぎやかな街を守っていきたい」 (文中敬称略) (火、水、木曜日に掲載します。) |