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女子バスケットボールのWリーグが九月十九日開幕し、シャンソン化粧品は四連覇を目指す宿敵ジャパンエナジーに快勝した。“救世主”と言われる身長二メートルの河恩珠が入り、新生シャンソンは好スタートを切った。「三年も優勝から遠ざかっているので、今年こその思いは強くあります。そのためにも二メートルの秘密兵器も入れました。日本一になって黄金時代を築きますよ。期待していてください」 昭和四十八年、シャンソン化粧品の社長に就任した川村修(昭36卒)。中学まで野球部に所属し、「上背はなかったが、腕力があり足が速かった」。しかし、三年生のシーズン終了後、ぜんそくが発覚。「走るスポーツはドクターストップがかかった。野球はあきらめるしかなかった」 静高では応援団に在籍した。「野球部員とは友達以上に仲が良かった。自然に『この連中をもっと応援したい』という感じで入部しました」。早朝や放課後、校舎の屋上や賤機山の山頂で特訓を重ねた。バスケットボール部監督の馬渡猛教頭が応援団の活動に理解を示し、昼休みは全校生徒での練習の指揮を執った。「全員に練習に加わってもらおうとして、トイレの中まで探して、隠れている生徒がいないかどうかチェックしました。学校や先生のバックアップがあったからできたこと」 東京六大学野球や都市対抗野球などを見学して勉強したり、合宿をしたりして技術を高めた。高校二年の三十五年。夏の全国高校野球選手権決勝は必死の声援も届かず、惜しくも法政二に敗れ準優勝に終わった。 「応援は六大学のまねで、早稲田や立教、慶応が混ざっていました。甲子園での応援は今までの中で一番感動しました。今年の夏もテレビで見ていて、自分が声を出したくなりましたよ。試合を見ていると静かにしていることはできなくなります」 現在はケアリングジャパン会長、静岡情報処理センター会長、シャンソンティワールド社長、卓謙社長、県バスケットボール会長や県交通安全協会長などを務め、多方面で手腕を振るう。学生時代の思い出が一番詰まる静高の三年間。「応援団に入っていたから、みんなが恥ずかしがるようなことを当たり前にできます。あのころの感動をほかの人にも味わってもらいたくて、シャンソンにバスケ部をつくったんですよ。いつまでも、この気持ちを忘れたくない」 (文中敬称略) (火、水、木曜日に掲載します。) |