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第2章 人物誌

(2003年10月2日掲載)
屈指の健全経営支える
静岡銀行関係

 高い自己資本比率を保ち、全国の銀行でも屈指の健全経営で知られる静岡銀行。元頭取酒井次吉郎(昭15卒)、現頭取松浦康男(昭35卒)を筆頭に、経営陣には多くの卒業生が名を連ねてきた。

 荻野覚(昭30卒)は昭和三十五年に入行、経理部長、総合企画部長などを経て、常務取締役を務めた。経理部時代には金融自由化に直面。他行に先駆け米シティバンクのコンサルティングを受けることを上申するなどALM(資産・負債の総合管理)体制の構築に貢献し、国内初の転換社債の発行、地銀初の格付け取得にもかかわった。

 退職後は静岡経済研究所理事長、県教育委員長、県事業評価監視委員長と多彩な公職に就き、現在、静岡市農業協同組合代表理事専務。「苦労が分かっていても、新しいことに挑戦したくなる」と意欲は尽きない。

 荻野と慶応大の同窓で同期入行したのが、狩野修(昭29卒)。人事部、東京事務所、呉服町支店長などを経て、同取締役支店長、常務取締役、常勤監査役を歴任した。

 創業五十周年で呉服町支店が現在の姿になり、最初の支店長。東京事務所では他行や官庁との折衝など最先端の情報収集、支店では顧客との付き合いから学んだ。「基本は人間関係。誠心誠意付き合わなくては、ぎりぎりの交渉はできない」

 平尾和之(昭34卒)は三十九年に入行し、人事部長、東京支店長などを経て常務取締役。平成十一年からは静岡保険総合サービス社長となり、現在は会長を務める。東京支店長のころはバブル期。ノンバンク向けなど利ざやの大きい融資に各銀行が競い合う中、健全経営のスタンスを貫いた。同時期に融資担当課長として支店に務めた河合健一(昭43卒)は「資金使途の確認を重視した。業績は他の地銀東京支社に比べて劣ったが、結果的に損失は少なかった」と振り返る。

 河合は四十八年入行。東京支店課長、本部営業推進部長、名古屋支店長などを経て常務執行役員首都圏カンパニー長を務め、今年七月、関連会社の静岡コンピューターサービス社長に転じた。

 河合と同期の小松原康久(昭43卒)は四十七年入行、審査第二部長、総合企画部長、人事部長などを経て常務取締役となり、現在、静銀リース社長。業界団体リース事業協会静岡県懇話会の会長も務める。常務時代は所管の審査部に企業サポートグループを独立させ、企業再生支援に先鞭(せんべん)を付けた。

(文中敬称略)

(火、水、木曜日に掲載します。)



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