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第2章 人物誌

(2003年10月21日掲載)
「世界一の品質」目標に
タミヤ社長
田宮俊作氏

「メーカーにできるのは、本気でいいものを作ることだけ」と語る田宮俊作氏=静岡市恩田原のタミヤ本社

 「日本製なんか、売り物になるわけがないだろう」。昭和四十一年。三十一歳で初めて米国を訪れた現タミヤ社長、田宮俊作(昭28卒)は、自社製品を売り込みに行ったニューヨークの小売店でこう門前払いされた。二軒、三軒。足を棒にしても反応は同じだった。

 米国からの輸入品で日本でも火がついた「スロットカー」の自社製品を持ち込み、専用コースで歴戦の米国人ファンを次々打ち負かしたが、「お前の腕がいいせいだ」と相手にされない。この時以来、掲げた目標が「First in quality around the world(世界一の品質)」。「日本一でなく、世界一になる」と心に誓った。

 戦車のプラモデル作りのため、米アバディーン、英ボービントンの戦車博物館はじめ、世界中を取材した。旧ソ連戦車の取材では、東西冷戦下のソ連大使館に直談判。認められなかったがあきらめず、捕獲された戦車があると聞くと、中東戦争直後のイスラエルに飛んだ。

 ポルシェの模型作りでは、ドイツの本社工場取材に加え、実物を購入して分解もした。初めてF1に取り組んだホンダのF1模型は、バッテリーの位置などあまりに厳密な出来栄えに、「企業秘密の固まりだ」と物議も醸した。

 そのF1模型は、最初に海外で評価された。F1模型を主力商品として参加したドイツ・ニュルンベルグのトイフェアでは、小さなブースに人があふれ、フェラーリのメカニックに「F1の仕組みを知りたければ、タミヤの模型を組み立てるといい」と言わしめた。

 マニア向けだけでなく、物作りの楽しさを伝える姿勢も大事にする。最近のミニ四駆ブームでは、より速く走らせるための改造に子どもたちを熱中させた。「発想の豊かさに逆にこちらが驚かされた。レース会場で子どものアイデアを見て商品化した部品がいくつもある。今の子は不器用だというが、機会さえあればみな物作りが好き」

 迫りくる米軍機に、恐怖より興奮を覚えた飛行少年だった。絵画や歴史を愛し、静高でも絵に没頭した。早稲田大を卒業すると、父・義雄が創業し、当時は木製模型を手がけていた田宮商事に入社。困難な時代は、リンゴ箱の上に製図板をのせ、図面を引いた。「メーカーにできるのは、本気でいいものを作ることだけ」。真摯(しんし)な姿勢が、世界中のファンに親しまれる「模型のタミヤ」を育ててきた。

(文中敬称略)

(火、水、木曜日に掲載します。)



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