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第2章 人物誌

(2003年10月22日掲載)
外交こそ平和維持の道
在カンボジア大使
小川郷太郎氏

日本による復興援助の供与式典でフン・セン首相(右)と話す小川郷太郎氏=2002年6月、カンボジアのコンプントム州

 在カンボジア大使小川郷太郎(昭38卒)の最初の海外体験は、静高を三年で休学し、交換留学生として訪れた米国だった。ラジオ講座や教会のバイブルクラスなど、あらゆる手段で英語を学び、「受験に差し障る」と止められるのも聞かずに留学を決意。ニューメキシコで一年間、ホームステイをしながら高校へ通い、後の進路を決定する鮮烈な経験をした。

 ホストファミリーとの食事時、思いつくまま日本を紹介していた時、「広島、長崎では原爆で大変な被害があった」と言うと、全員が顔色を変えた。「何を言っている。それは日本が卑劣な攻撃を仕掛けたせいだ」

 米国を非難するつもりはなかったが、強烈な反応だった。「その勢いといったら。同じ一つの事柄も、見る人によってこれほどまでに違うのかと思い知らされました」

 学校生活も受験中心の日本とはまったく勝手が違った。課外活動が多く、討論やスピーチなど人前で話す訓練が多い。社会生活に必要な力を身に付ける、実践的な教育に刺激を受けた。

 帰国後は東大法学部に進み、昭和四十三年、外務省に入った。留学中の経験から、戦争への問題意識が強まっていた。「戦争はあらゆる手段で防がなくてはならない。その最強の手段は外交だと思いました」

 経済局国際経済第一課長、欧亜局西欧第一課長を経て、昭和六十三年、在ソ連(当時)日本大使館参事官に。ゴルバチョフが登場し、激変する社会を目の当たりにした。在韓国公使、在ホノルル総領事なども務め、植民地支配や戦争の記憶が残る現地で人々の思いをじかに聞いた。

 カンボジアへ赴任したのは平成十二年。長い内戦を終え、ようやく平和を手にした国土は、今も復興のただ中にある。破壊された道路や橋などのインフラ整備が、日本はじめ諸外国や国際機関、NGOの手で進む。

 「治安はここ数年で改善し、アンコール遺跡などを訪れる観光客も増加しています。カンボジア人は敬けんな仏教徒で、控えめ。感覚が合うのか、NGOの関係者など長期滞在する日本人も多いですね」

 若い人には積極的に海外に目を向けてほしいと望む。「国際社会での日本の存在を自覚してほしい。日本に寄せられる期待は大きく、自国さえ良ければいいという理論は通じません」

 十日の辞令でデンマークへの赴任が決まった。「穏やかで美しい国。楽しみです」

(文中敬称略)

(火、水、木曜日に掲載します。)



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