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第3章 校史

(2003年11月05日掲載)
仮装行列に市民ら声援
復興から躍進の時代

静岡市水落付近を行く仮装行列(昭和28年)

 昭和二十八年度から新入生も含めた生徒全員が静岡市長谷町の新校舎で学ぶようになった。校舎落成式は同年十月二日、創立七十五周年記念式典とともに行われた。記念行事として翌日に運動部招待試合や舞台芸術、三日目に運動会、初の市中仮装行列、ファイアーストームが行われた。HRごとの仮装行列は、呉服町などの繁華街を通り、沿道の市民から盛んな喝采(かっさい)を浴びた。わが国が独立を回復した翌年のことだ。

 二十九年は米国のビキニ水爆実験による放射能雨や海洋汚染が問題になった。健康問題を考慮した学校側は、清水・袖師海水浴場における夏恒例の水泳訓練を中止し、会場をプールに変更した。九月一日付で校名を「静岡高等学校」に改称。同年度で週五日制授業が廃止され、週六日制になった。

 市内各高校の名物だった仮装行列は三十年、健全性を求める県教委の通達を受けて静岡市立高、静岡商業高が相次いで中止する中、静高は校長の判断で実施した。

 三十一年十月、体育館兼講堂が落成。校舎焼失以来の再建計画は一段落し、校史は復興から躍進の時代に入る。三十二年、静岡国体を迎えてバスケットボール、庭球、ラグビーの三種目の会場校となった。

 国連加盟後、国内では革新―保守の政治的対立が安保改定によって頂点に達していた。三十五年五月には日米新安保条約の強行採決をめぐり連日、激しい反対デモが繰り返された。校内でも安保問題討論会がHRで開かれ、生徒の一部が街頭デモに参加した。自治会は「高校生と政治活動の限界」を討論している。

 その一方、夏の甲子園では野球部が準優勝、翌年の秋田国体でバスケット部が全国優勝するなど運動部の活躍が続いた。

 三十八年ごろ、一年生の水泳訓練は新居弁天で行われ、当時、赤ふんどし、赤帽のいでたちは名物だった。三十九年度からは、集団訓練の機会に恵まれない生徒のために、初の野外活動として夏期休暇中の清里キャンプも始まった。以来、二年生の恒例行事として八年間続く。

 三十年代後半は池田勇人内閣の掲げた所得倍増計画に伴う高度経済成長時代。所得水準は上昇し、高校や大学への進学者が増大した。同校でも一流大学への合格者増を目指す「進学倍増論」が旋風を巻き起こした。

(文中敬称略)

(火、水、木曜日に掲載します。)



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