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第3章 校史

(2003年11月06日掲載)
政治活動テーマに討論
昭和40―50年代

2年だけ実施された朝霧キャンプ(昭和49年)

 増加傾向にあった女子生徒数は昭和三十九年度、ついに百人を超え、四十一年度には百五十人に迫った。服装が年々華美になってきたため、四十二年度新入生から制服着用が義務付けられた。

 四十一年度、硬式庭球部が全国高校総体で悲願の全国制覇を果たし、山岳部も大分国体に出場して活躍した。その一方、野球部内では暴行事件が起きて部員が校内処分された。しかし、日本高校野球連盟に事件が未報告だったことから、対外試合を同年末まで禁止する処分を受けた。

 四十二年には観光より学習に重きを置いた修学旅行へと改革を図り、グループ別による自由研究旅行を初めて導入した。生徒の大部分が有意義と認め、成果を収めた。

 四十四年、大学紛争が同校に波及し、建国記念日反対運動を機に学園紛争となった。「高校生の政治活動」がロングホームルーム(LHR)のテーマになり、各HRで討論会が行われた。

 以後、LHRは軌道に乗っていく。HR活動は活発化し校内球技大会やギョウ高祭の仮装行列が高揚期を迎えた。四十七年度前後の仮装行列は、時間と労力と費用をかけて、異常ともいえる盛況を極めた。

 四十八年度の第五十五回全国高校野球選手権大会県予選には史上最高の八十校が参加。静高は三年ぶり十六回目の甲子園出場権を獲得した。「力の静高」は快進撃し、「技の広島商」と決勝で対決、2―3で惜敗した。千葉国体でもその力量を発揮して三位になった。

 四十九年は七夕豪雨で記憶される。八日、生徒二百八十七人が欠席し臨時休校になった。しかし、同月は、新体育館が落成し、前年に続き二年生の朝霧キャンプも行われ、生徒らは徐々に元気を取り戻した。

 五十一年度には創立百周年記念事業(五十三年)に向けた諸準備が始まった。柱になる「百年史」も本格的な作業に入った。

 五十三年度、野球部が五年ぶりに甲子園に出場。2回戦で初出場の熊本工大高と対戦し、延長十三回で敗れたが、甲子園出場はこの秋の創立百周年を飾った。

 昭和二十三年に開設された定時制は第一回卒業生が二十七人だった。五十三年度には四十八人。開設以来の卒業生は計千八百十人を数えたが、志願者は減少の一途だった。

(文中敬称略)

(火、水、木曜日に掲載します。)



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