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第3章 校史

(2003年11月11日掲載)
自治会停滞し行事縮小
創立100周年〜昭和末

100周年記念の人文字(昭和53年)
 昭和五十三年十月七日、かつての駿府会館で在校生や同窓生ら三千人余りが出席し盛大な百周年記念式典が行われた。記念レコードも制作し、新応援歌も収録した。

 五十四年度、県内で小中高校の勤労体験学習が始まり、掃除嫌いが伝統という同校生も校内と周辺を清掃。自治会提案を受けて制帽の着用を自由化したのもこの年だ。

 第二次ベビーブーム世代の受験した五十五年度、女子が初めて百人の大台を超えた。放送部が全国放送コンテスト全国大会決勝のラジオ番組自由部門で全国三位、創部四年の囲碁部も全国高校囲碁選手権大会に初出場して三位、文芸部も全国文芸コンクール共同研究部門で文部大臣奨励賞などを受賞して話題になった。

 停滞とマンネリ化が続く自治会活動は五十六年度、ついに三カ月間の会長不在の事態を招いた。球技大会も中止、仮装大会も規模を縮小した。

 五十七年度の新入生から新学習指導要領が導入された。高度経済成長下の教育環境は三無主義や落ちこぼれを生み出したことから、「ゆとりの時間」に特徴があった。野球部は四年ぶり十八度目の夏の全国高校野球選手権大会へ出場。翌年はラグビー部が県高校総体を制覇した。

 女子の増加を背景に五十九年度から男子クラスの廃止に着手。「男の世界」の存続を望む声も根強かったが、まず二年生、次いで翌年度に一、三年生で廃止された。同時期、体育祭が「祭りではない」と体育大会に変わったが、男女混合学級は競技にも影響した。

 六十年度、校舎の改築がようやく決まった。築後三十年余りが経過し、老朽化と耐震性が問題化していた。同年はバスケット部による二十二年ぶりの高校総体県大会制覇が話題に。翌年度は大学入試制度の変更を踏まえた習熟度別クラス編成が論議を呼んだ。

 六十二年度、野球部が五年ぶりに夏の全国高校野球選手権大会に出場。この年を最後に土肥海岸での水泳訓練が廃止された。自治会選挙は六年ぶりの選挙で活況だったが、ギョウ高祭は校舎改築に伴う仮校舎のために盛り上がりに欠け、伝統の仮装大会も中止になった。

 六十三年度は一転して自治会が成立せず、三年生会長が再登板したが、ギョウ高祭は豊富な新企画で充実した。年末に待望の新校舎が落成した。

(文中敬称略)

(火、水、木曜日に掲載します。)



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