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第3章 校史

(2003年11月12日掲載)
男だけの学級が消える
平成元年〜7年

水泳訓練に代わる山の村合宿(平成元年)
 平成元年一月、完成した新校舎に移転した。落成記念にギョウ高会から文化部部室が贈られ、静中静高同窓会からの寄付金で図書館の冷暖房装置が付いた。新校舎利用に際して、県内高校唯一の「校舎内土足」という伝統を守るために関係者が努力し、特別な許可を得た。土足は自治会運営や七十五分授業―と並ぶ静高の大きな特色だった。

 九月恒例のギョウ高祭は、三年生の受験日程を考慮し、六月開催になり、仮装が三年ぶりに復活した。七十年余りの伝統を誇った土肥水泳訓練に代わり、富士山ろくに一泊する一年生の「高校生山の村合宿」が始まった。

 二年度から数学と化学が選択制となり、将来文系を志す人を対象にしたAコースと理系志望者を対象にしたBコースが開設された。大学受験準備の効率化が狙いだが、校史始まって以来の試みだった。

 湾岸戦争に始まりソ連崩壊に終わる激動の三年。定時制用の食堂が改造され、九月から全日制に開放された。生徒の要望に基づくメニュー、学食独自の明るい雰囲気は好評を得た。

 四年度から将来の学校週五日制を念頭に置いた月一回の土曜休みが始まった。新一年生はすべてのクラスが男女混合になり、男子クラスのない学年が七年ぶりに登場したことが話題になった。

 女子は五年度の新入生で初めて三分の一以上を占め、男子だけのクラスは長い歴史に幕を閉じた。この年、マンドリン部が全国ギターマンドリンフェスティバルで優秀賞、郷土研究部が全国学芸コンクールで前年の金賞に続き銅賞を受賞した。

 六年度から新教育課程の導入に伴い伝統的な七十五分授業が廃止され、一時限六十五分へ移行した。卒業生の遠山敦子さん(七三期)が女性初の文化庁長官に就任して話題に。十三年には小泉内閣の文部科学相に就任する。

 七年度、応援団は存続の危機を迎えた。新入部員がなく静岡商業高との定期戦の応援も危ぶまれた。各クラスから募集した応援委員会で仮設応援団をつくって定期戦に臨んだ。その後、応援団顧問の説得と訴えに応じた応援委員会委員によって応援部が再開された。

 この時期、教育に「ゆとり」が取り入れられようとする過程で、多くの学校行事が廃止される方向で見直された。

(文中敬称略)

(火、水、木曜日に掲載します。)



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