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イチゴ(上)

無農薬栽培で品質追求

 化学肥料に頼るイチゴ栽培に疑問を感じた伊豆長岡町の村川一雄(昭31卒)は昭和六十二年、有機農法に切り替えた。手間がかかる上、収量は三割ほど減った。それでも村川は「生態系に逆らい、品質を無視するような増産一辺倒より、人の健康を守る農家でありたい」と信念を貫く。


有機農法にこだわる村川さん=伊豆長岡町天野

土耕式の高設栽培に取り組む渡辺さん=伊豆長岡町南江間
 水田裏作として始まった田方平野のイチゴ栽培。昭和四十年代、施設の大型化が急速に進み、周年栽培を可能にした。一方、連作障害が一気に広まり、土壌消毒剤など化学肥料が登場する。

 村川は「土が一気に悪くなった。無機質な土壌の作業は手が荒れる」ことに気付く。化学肥料の使用を積極的に推進する行政指導、利益追求型の農業に不安が募った。有機栽培に関する文献を読みあさり、試行を続けた。村川の取り組みに共感した全国のイチゴ農家や業者からも自然と情報が集まるようになった。

 無農薬・無化学肥料にこだわる村川は昔と同じように裏作に稲を育てて連作障害を防ぐ。「農業者が生活を維持するための利益確保は大切。でも、自分たちは人間に欠かせない“食”生活を担っている。最後は品質で勝負したい」。イチゴ狩り園など観光農業には興味を示さない。村川の作ったイチゴしか食べないという熱烈なファンの存在が自信につながっている。

 伊豆長岡町の渡辺勝之(昭32卒)は昨年、田方地域で初めて土耕式の高設栽培を導入し、イチゴ狩り園として観光客に開放した。イチゴ農家にとって職業病ともいえる腰痛の克服が狙いだった。後継者問題を抱える渡辺は「あと十五年続けるには、平床では駄目だと思った」と明かす。

 ことし二月急逝した岩田広巳(昭27卒、故人)は平成八年から四年間、県野菜振興協会イチゴ部会長とJA伊豆の国イチゴ委員会長を兼務した。出荷時の検査制度の充実を図り、市場での韮山イチゴの信頼確保に力を注いだ。宮口武三(昭27卒)が岩田の後を継ぎ部会長と委員長を兼任する。

(文中敬称略)
 【注】カッコ内は卒業年。

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