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昭和五十七年八月二十七日、沼津市大平で鉢物栽培に取り組む西山彰男(昭40卒)の快挙を伝える記事が全国紙の夕刊一面に踊った。静岡市民文化会館で開かれた第三十一回全国農業コンクール。十五年しか経験のない若手の日本農林漁業振興会長賞受賞に、周囲から驚きの声が上がった。
創業時に描いた「八桁(けた)農業」「家族労働から企業化へ」の夢を実現し、それまで規模拡大が難しいとされた鉢物栽培の定説を覆した西山は“企業的農業者”と高い評価を集めた。「前評判の高かった愛知県の生産者が翌日、すぐに現地調査にやって来た時は、本当に恐ろしかった」と苦笑いする。 消費者ニーズを考えた商品作りが西山の真骨頂。市場として考えられなかった子供向けに食虫植物に目を付け、小学校の教科書に登場する「ハエトリグサ」を全国的に展開した。 売れ筋を狙って日々模索が続く。「新しい物が好きなだけではない。高級品を低価格で売ったり、流行しつつある商品を自分のものにする栽培技術も必要。そのためには情報が一番大切」と西山。インターネットによる市場動向のチェックは欠かさない。農業経営士クラスの生産者が集う「美土里の会」や地元の「農友会」「農業を考える会」を立ち上げ、情報収集の場に生かしている。 田農時代は女生徒ばかりの花きクラブ。サラリーマンを勧めた両親の願いを振り切って県立農林短大へ進学した。生産者になってからも月一回、東京都内の勉強会に出席し、終電に飛び乗って帰宅した。「花が素直に好きだっただけ。趣味と実益を兼ねていた」と振り返る。 西山の経営する「大彰園」は現在、三千三百平方メートルのハウスを十人のパートを雇って切り盛りする。「経営は三年先を読み、夢や目標は五年切り替え」が持論だ。昨年導入した「プールベンチ」と呼ばれる底面給水システムは欧州の最新技術。不況にもかかわらず、規模拡大路線を緩めようとはしない。
(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。
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