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昭和六十二年、生産者として十年目を迎えようとしていた杉山は漠然とバラを育てる毎日に不安が募る。「都市化が進み、農家と住民との間に見えない壁ができつつある。これからは農業者も勉強しなければならない時代」無理やり頼み込み、農業とは縁のない中小企業大学に入った。「異業種の仲間と知り合い知恵をもらった。発想が無限大に広がった」。心を躍らせた杉山は、バラの無人販売をいち早く始めた。「バケツに入れてバラを売るのはどうか」と同業者からクレームもあったが、家庭とバラを結び付ける一つのアイデアだった。年間を通じて多彩なイベントを企画し、「バラとワインとシャンソンの夕べ」はおしゃれな雰囲気を気軽に楽しめる催しとして人気だ。園内三百五十種のバラが途絶えることはない。 杉山の機敏な行動力とユニークな発想は学生時代から。田農では柔道部主将を務め、借り出された県相撲大会では三位に入った。東京農大では若者たちに絶大な人気の漫画「嗚呼 花の応援団」にあこがれて、迷わず応援団入り。団長時代はOBから資金を集めてバトンガールを創設し、名物「大根踊り」でテレビにも引っ張りだこだった。はかま姿で選手と箱根山を併走した正月の箱根駅伝は、今も応援団仲間の語り草になっている。 十八歳から伸ばしているトレードマークの鼻ひげを一度だけそったことがある。母校の田農で教育実習した時だ。元来は教員志望。豪快な人柄で生徒の人気を集めたが、「一人の人間の将来を左右する仕事」に怖さを感じる。バラの研究を卒論テーマに選んだ杉山は「やり方によっては農業が変わるかもしれない。アイデア次第だ」と気持ちを切り替えた。 「バラの花の命は長くて一週間。その間にいろいろな顔を見せてくれる。まるで人生を見ているよう」。長期化した景気低迷は“高級品のバラ”にとって不都合だ。杉山は「時代が悪くなればなるほど、バラを身近に置いてもらいたい。バラには癒(いや)しの効果がある」と戦略的に売り込む。
(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。
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