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シイタケ(下)

「清助」ブランドに誇り


集出荷場で作業する勝又(中央)、山口、飯田さん(後列左から)=中伊豆町中原戸
 品質の高さを誇る伊豆産シイタケ。日本一の大分県との間で発祥地を巡る論争が続いているものの、十八世紀半ばに郷土の名士・石渡清助が礎を築き、街道を通じて全国に広まったというのが地元の定説だ。中でも、県きのこ総合センターの“お墨付き”をもらった製品は、偉人の名にちなんだ「清助」のブランド名が与えられ、ファンも多い。

 山口紘(昭35卒)飯田忠(昭37卒)勝又浩之(昭56卒)ら中伊豆町の生産者は清助ブランドの全国展開に取り組む。中国産の攻勢による価格の急落に危機感を持ち、十五年ほど前から郵便局の「郵パック ふるさと小包」を通じた全国発送を始めた。事務担当で山口の妻、勢津子(昭40卒)が包装し、バブル期は贈答品として重宝がられた。


ほだ場の状況に目を光らせる朝香精一郎さん=土肥町土肥
 平成七年には国の補助を受けて、中伊豆町椎茸人工ほだ場利用組合を設立。過剰投資を恐れた生産者が次々と手を引く中、「中国産に押しつぶされるだけでは、自分のやってきたことが何だったのか」と発奮した山口らは町内八カ所に計七十アールのハウスを整備し、安定収穫を可能にした。勝又は「生産者の顔の見える食品が求められている。グループ対応しないと、需要の増えている量販店に対応できない」と言い切る。

 山口は家業の酪農を継ぐために畜産科に学んだ。卒業式を終えた最後の春休み、勝又の父、(昭23卒)のほだ場を手伝ったことで転機を迎える。「将来のシイタケ産業は有望」と規模拡大に燃える惇の姿に感化され、内定していた農協を断った。勝又は田農卒後、鳥取県の日本菌類専門学校でシイタケの生態を学び帰郷。農協職員として販売を身につけ、「あとは作るだけ」と家業を継いだ。

 温暖な気候と駿河湾の海風に恵まれた土肥町にも、朝香精一郎(昭31卒)朝香為次(昭34卒)山口孝夫(昭43卒)ら優れた生産者が多い。朝香精は高級品「天白どんこ」で全国農林大臣賞を七回受賞。「品評会は常にいい物を収穫しようとする姿勢が身に付く。生産に集中し、目配りも聞くようになる」とこだわる。

 朝香精は物心のついたころからほだ場で作業する父親の後ろを付いて回った。「シイタケの子が原木の皮を破って顔を出す。小さな命のエネルギーが好きだった」。自家製原木に執着し、昭和三十一年、山林十三ヘクタールを倍以上に増やすなど基盤整備に力を入れた。

(文中敬称略)
 【注】カッコ内は卒業年。

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