<18>

 メ ロ ン

伊豆産の販路切り開く


東部地区にメロン栽培の道を切り開いた米山さん=函南町柏谷
 昭和四十四年、田方平野で作られたメロンが初めて市場に並んだ。高級品のイメージが定着し、産地の暖簾(のれん)がものをいう世界。出荷した米山裕和(昭41卒)=函南町=の胸中を熱いものが走った。

 米山がメロン生産者になることを決意したとき、周囲からは「函南でメロンは作れない。どうしても作りたいなら遠州に引っ越せ」と猛反対された。生産量・販売量ともに全国一のメロン産地をうたう本県だが、その大半は磐田市や浜松市などの西部地区が占めている。西部の粘土質の土壌と違い、函南周辺の火山灰土はメロン栽培に適さないと考えられたからだ。

 米山は田農時代、「果物屋の一番高い棚に並ぶ芸術品のようなネット模様にひかれて」メロン栽培に興味を持った。気象によって生活が左右される果樹栽培を見て育った米山は、近代的農業にもあこがれがあった。

 県立農林短大時代にメロンを専攻し、遠州のメロン農家で研修を積む。多くの人が反対する中で、父親だけが賛同してくれ、帰郷する米山のためハウス建設の準備に取り掛かっていた。

 「ばく大な設備投資であり、後戻りはできない」と米山。「東部でも作れるということを証明したい」と挑戦心をかき立てた。函南の土壌に適した栽培方法をつかもうと試行を繰り返し、数年で生産を軌道に乗せた。

 市場出荷から二年後、生産者仲間三人と伊豆温室メロン組合を結成し、販路の拡大に力を注ぐ。一方で、会員を増やすために田農に出向き、後輩にメロン作りの楽しさを熱っぽく語り掛けた。東京の青果市場に押し掛け、「葵(あおい)」の家紋の入ったブランドで出荷にもこぎ着けた。「平均年齢二十五歳の若い組合だった。将来の産地として期待をかけてくれたのだろう」と振り返る。

 組合は今年、設立三十周年を迎えた。市場での知名度は遠州メロンにまだ及ばない。「平均年齢は四十二歳で、西部地区の組合に比べて若い。周囲の意見に惑わされず、良品質のメロンを作り続けたい」。組合員十五人のうち田農OBは八割を超えた。米山は後輩たちを鼓舞しながら、伊豆産のメロンを全国に広める。

(文中敬称略)
 【注】カッコ内は卒業年。

引佐高の100年 富士宮農高百年  御殿場高 躍進の百年 静岡新聞へ