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米山がメロン生産者になることを決意したとき、周囲からは「函南でメロンは作れない。どうしても作りたいなら遠州に引っ越せ」と猛反対された。生産量・販売量ともに全国一のメロン産地をうたう本県だが、その大半は磐田市や浜松市などの西部地区が占めている。西部の粘土質の土壌と違い、函南周辺の火山灰土はメロン栽培に適さないと考えられたからだ。 米山は田農時代、「果物屋の一番高い棚に並ぶ芸術品のようなネット模様にひかれて」メロン栽培に興味を持った。気象によって生活が左右される果樹栽培を見て育った米山は、近代的農業にもあこがれがあった。 県立農林短大時代にメロンを専攻し、遠州のメロン農家で研修を積む。多くの人が反対する中で、父親だけが賛同してくれ、帰郷する米山のためハウス建設の準備に取り掛かっていた。 「ばく大な設備投資であり、後戻りはできない」と米山。「東部でも作れるということを証明したい」と挑戦心をかき立てた。函南の土壌に適した栽培方法をつかもうと試行を繰り返し、数年で生産を軌道に乗せた。 市場出荷から二年後、生産者仲間三人と伊豆温室メロン組合を結成し、販路の拡大に力を注ぐ。一方で、会員を増やすために田農に出向き、後輩にメロン作りの楽しさを熱っぽく語り掛けた。東京の青果市場に押し掛け、「葵(あおい)」の家紋の入ったブランドで出荷にもこぎ着けた。「平均年齢二十五歳の若い組合だった。将来の産地として期待をかけてくれたのだろう」と振り返る。 組合は今年、設立三十周年を迎えた。市場での知名度は遠州メロンにまだ及ばない。「平均年齢は四十二歳で、西部地区の組合に比べて若い。周囲の意見に惑わされず、良品質のメロンを作り続けたい」。組合員十五人のうち田農OBは八割を超えた。米山は後輩たちを鼓舞しながら、伊豆産のメロンを全国に広める。
(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。
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