<19>

ミカン(上)

「寿太郎」の普及に心血


段々畑で作業する海瀬さん=沼津市西浦
 ミカンどころの沼津市西浦から生まれた「寿太郎温州」。今や年間三千トンが出荷され、西浦では主力の「青島温州」にとって代わる勢いだ。昭和五十年、開発者の山田寿太郎から「おもしろいものがある」と相談を持ち掛けられた海瀬哲夫(昭26卒)渡辺平八郎(昭24卒)は「西浦ミカンの救世主になる」と確信し、普及を陰で支えた。

 西浦柑橘(かんきつ)出荷組合が苗木の育成を始めたのは昭和五十四年。ほとんどの農家は半信半疑で、「よたろう」とからかう者もあった。半分以上の一万五千本が売れ残ってしまう。

 県農業経営士の一期生だった海瀬は昭和三十九年、西浦に初めて青島温州を導入するなど、農業技術指導員時代の情報網を駆使し、積極的にミカンの技術改良に取り組んでいた。山田から二本の原木を譲り受けると、いち早く試験栽培に取り組み、技術確立に精力を傾けた。青島温州と半々の産地形成を狙い、組合にはっぱをかけ、各集落を回って寿太郎の増産を促した。

 一方で、共同選果場のミカン評価委員だった渡辺はすぐに特性調査に乗り出した。「貯蔵性、実の大きさ、糖度と、調べるごとに三ケ日ミカンに勝てると確信した」と心躍る日々を送る。組合はフェンスを囲んで原木を守り、その成り行きを見守った。三年にわたる調査は昭和五十七年、種苗登録認定で結実する。

 「初期の生育の悪さに課題が残り、寿太郎の技術確立はまだ八○%ぐらい。技術改良と同時に、寿太郎を超える品種を生み出さなければ」。意気盛んな三人は、今でも酒を酌み交わしながら、第二の寿太郎誕生を夢見る。

 若手の川口洋芳(昭53卒)と妻節子(昭53卒)は生産の八割を寿太郎で占め、出荷量で群を抜く。「品質の良さはデータで証明済み。消費者ニーズに最も近い」と評価する。外来果実の普及に危機感を持ち、「寿太郎を消費者が納得する価格で」と新たな栽培体系を模索する。

 内浦でも、昨年の西浦出荷組合との合併をきっかけに、増産機運が高まっている。県農業経営士一期生、内田栄(昭27卒)は「『東の西浦、西の三ケ日』と言われる産地を守り続けるには、寿太郎ブランドに頼るしかない」と信頼を寄せる。

(文中敬称略)
 【注】カッコ内は卒業年。

引佐高の100年 富士宮農高百年  御殿場高 躍進の百年 静岡新聞へ