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片野は祖父の仲次郎(明45卒、故人)、父の敏(昭15卒)から続く搾乳牛六頭の酪農家に生まれ育った。田農時代に家業の経営実態を調査し、イチゴやミカン農家に比べて業績が思わしくないことを知る。「跡を継いでもおもしろみがない」と考えた片野は、すぐに農協を通じて研修手続きを取った。 行き先は北海道空知郡。牧場主は、後に北海道・沖縄開発庁長官として宮沢政権を支えた北修二だった。早朝三時から始まる飼牛を通じて、酪農家としての心構えを体で覚えた。北がいつも口にしたのは「思うことの三倍の夢を持て」。政治、国際問題と、仕事以外でも幅広い知識を吸収する機会を得た。 一年の研修を終えた片野は「海外で学んでこい」という北の一言で、カナダのオンタリオ州に渡った。北海道を超える広大な牧場に身を置き、「スケールの違いに驚くばかりだった。いつしかそれが当たり前になり、自分も日本でできると自信がついた」と酪農家としての原点を振り返る。 二年で帰郷し、すぐに規模拡大を始めた。周囲からは「そんなでかい物を作ってどうする」の声もあったが、丹那一の四十頭牛舎を建設した。カナダで使っていたステンレス製の牛乳貯蔵タンクを購入すると、地元の組合もすぐに飛び付いた。四年前は、オラッチェの開業に合わせて百六十頭に増やし、頭数・出荷量は県内二番目。環境衛生にも気を配り、糞尿(ふんにょう)処理システムを軌道に乗せた。 オラッチェ設立には取締役として携わった。若手酪農家をまとめ、町議や住民との会合に何度も足を運び、丹那地区の将来像を語り合った。 社長就任は平成十一年六月。片野は「真価が問われるのはこれから」と不況対策に知恵を絞る。添加物を一切使用しないチーズやバター、アイスクリームを加工・販売したり、週末には地元農家の持ち込んだ低農薬野菜を即売。北海道の研修時代に身につけた町づくりに対する信念で取り組む。今でも二月になると、厳冬の北海道に思いをはせてカーネーションを北の牧場へと贈る。
(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。
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