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ライスセンター

兼業農家の稲作支える


注文分の種まきを行う芹沢さん=函南町柏谷
 「兼業農家は雨が降れば、予定していた作業が次の休日まで先延ばし。運が悪ければ一カ月も遅れる。自分と同じように困っている人が大勢いるんじゃないか」。芹沢和義(昭46卒)=函南町=がふとした思い付きで昭和五十四年に開いた「中川ライスセンター」は、水稲の作業受託会社の草分け的存在。個人で看板を掲げるのは、全国的にもまだ珍しかった。

 芹沢のライスセンターは苗床作り、田おこし、田植え、収穫などの作業ごとに価格表を設け、約千平方メートル換算で手間賃を得る。注文の殺到する田植えや収穫期の一週間は五人のパートを雇っても、作業が夜十時すぎまで及ぶ。それでも、御殿場や沼津、清水町にも顧客範囲を広げ、コンバインなど大型機械を積んだトラックで飛び回る。

 農協式の作業受託のように、収穫した米を混合・分配することはしない。「同じ銘柄でも田によって味が違う。自分の田で作った米が一番うまいと信じている客が大半だから」と信頼にこたえる。需要を確保しているのは、サラリーマン農家の増加に支えられているからだ。

 芹沢は田農卒業後、県養豚試験場に学んだ。片手間の水田に費やす時間さえ惜しむほど養豚に熱中し、その時間を作るため、まだ高価だったコンバインや米の乾燥機を購入する。「ほとんどの農家が稲刈りは手作業の時代。自分だけで使うのはもったいない」。近所の収穫作業を手伝い始めたことで、うまみを覚えた。

 田農で機工クラブ長だった芹沢は「幼いころから機械いじりが好きだった」。注文の落ち着く冬場には、コンバインやトラクターなど数台の大型機械を一気に分解・整備する。「壊れた機械が動き出した時の快感が楽しい。意地でも業者に頼まない」と無邪気な一面をみせる。

 イチゴ農家から転進した「仲川ライスセンター」の仲川安幸(昭42卒)=函南町=は「農家で生きてきた自分に、商売の意味合いが入ってきた。人間も自然と同じで思うようにならないが、一人で作業するより楽しい」。長男嗣人(平3卒)に実権を譲り、陰から支える。

(文中敬称略)
 【注】カッコ内は卒業年。

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