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イチジク・カキ

本物の良さは口コミで


昭和天皇に献上した当時のイチジクジャムを手にする前島さん=伊東市富戸
 伊東市特産のイチジクジャムが昭和天皇の献上品に選ばれたことは地元でもあまり知られていない。開発者の市農協イチジク部会長、前島正邦(昭20卒)は「ラベルやパッケージに(献上を)表示するかで話し合ったが、一時のブームではなく、消費者の口コミでゆっくりと浸透させたかった」とあえて華々しい宣伝をしなかった。

 献上は昭和五十五年十一月、県知事を通して実現した。田農卒後、東大農学部付属の試験場で学んだ前島は、当時の恩師から「天皇陛下の好物がイチジクらしい」と聞き付ける。献上用に、六瓶入りの箱を地元の建具屋に特注した。「一般の農家がまさかそんなことができるとは思わない。駄目でもともとのつもりだった」。だが、農協関係者からルートを追っていくと、話はトントン拍子に進んだ。

 後日、宮内庁から菊の紋章が入った「恩賜(おんし)のたばこ」が届けられたが、前島は「県知事からもらった特級酒と一緒に消えてしまった」と苦笑する。

 前島がイチジクを導入したのは、静岡や焼津でも徐々に浸透し始めた昭和五十年ごろ。雨に弱く、日持ちが悪いイチジクは商品価値が下がることも多いため、「初めから生果とジャムの両立を考えて取り組んだ」。ミカンの暴落をきっかけに転換作物を探っていた地元農家に波及し、三年後の部会設立には約四十戸が集まった。

 ジャムの加工場も同時に建設され、生産者が交代で煮かまの当番についた。前島は農協との間で原料代や手間賃の先払いの確約を取り付け、若手にやる気を起こさせた。「煮加減が一番難しいから、他産地はまねできない」と前島は自信満々だ。初年度から五万本を作り、伊豆半島一円を回って得意先の獲得に走った。添加物は一切入れず、皮を向いて砂糖とクエン酸で煮るだけの製造法は今でも変わらない。

 山本光男(昭28卒)=函南町=は昨年、六百八十グラムを超えるジャンボ柿(かき)の収穫に成功し、新聞紙上をにぎわせた。五年前に導入した「いさはや」は、枝が弱い上に果実が次郎柿や冬柿よりも一回り重いため、「刈り込みや摘果のタイミングに一番気を使う」。追肥や消毒、せん定など年間の作業工程を品種ごとにマニュアル化し、接ぎ木技術を学びに来る御殿場や清水町などの生産者にも気軽に応対する。

(文中敬称略)
 【注】カッコ内は卒業年。

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