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林  業

古里守る300年の森構想


天城山系の地図を広げて、300年の森構想を練る立岩町長=天城湯ケ島町役場
 天城湯ケ島町長立岩博明(昭33卒)が昨夏打ち出した「三百年の森構想」は、民有林の所有者に対して今後三百年間、開発行為をしないことを条件に、町が間伐費用を補助する仕組みだ。立岩は「山を整備し直すことは、災害を防ぐ意味からも町の重大な責務。手入れの行き届いた巨木はいつか必ず町の財産になる」と力を込める。

 国産材は需要の伸び悩みと外材丸太の輸入に圧迫され、売り上げが木材の搬出費だけで消えてしまう。山は荒れ、保水力の低下や災害時の土壌流失の恐れが各地で指摘されている。管理を委託された町森林組合長鈴木正一(昭24卒)は「天城山が崩壊するかもしれない。先祖から受け継いだ財産を守っていかなければ」と危機感を募らせる。

 最近では、協力するボランティアグループが次々と名乗りを上げてきた。クラブアマギの副会長下山謙一(昭25卒)は「五十年前は想像もできなかった事態。既に個人レベルでは、山を立ち直らせることはできない」とポツリ。田農時代は山岳部で活躍し、山には強い愛着がある。「もっと森林に親しんでもらい、一緒に森作りに参加できるようになればいい」。全国植樹祭で広まった森林保全に対する動きを継続させようと奔走する。

 水量の不安定な河川に関心を寄せる中伊豆町の塩谷修一(昭23卒)は五年前、「天城山の自然を守り育てる会」を立ち上げた。ブナやヤマボウシなど広葉樹を植林し、天城山の復元を目指す。

 雑木林から杉、ヒノキの人工林に転向したのは戦後復興期の昭和三十年代から。町森林組合の初代組合長城所啓(明45卒、故人)ら当時の所有者は、天城山に人一倍の愛情を注いだ。

 城所の口癖は「山は一人では守れない。人の和が山を守る」。地域の共有財産として山の整備体制をつくるよう各集落に呼び掛けた。合併前の上狩野村長時代は、植林と下刈りが毎朝の日課。いつも迎えのタクシーを断り、五キロの距離を歩いて役場に通った城所は「げた履き村長」と呼ばれ、町民から親しまれた。二代目組合長は、中狩野村長だった立岩正夫(大3卒、故人)。森林が財産として考えられた時代に病に伏すまで山に入り、巨木の生育に情熱を注いだ。

(文中敬称略)
 【注】カッコ内は卒業年。

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