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仁田大八郎(1)

建学精神を示す校史映画


仁田家に残るシナリオ
 体育館の巨大スクリーンに映し出される六十歳前後の仁田大八郎。昭和四十六年の創立七十周年記念式典で校史の映画「ここに歴史あり」が公開された。わずか数秒の映像に、生徒たちの視線が集中した。

 大八郎は明治四年生まれ。三十一歳の時、田方農高前身の郡立田方農林学校を創設し、学祖と慕われる。映画は学校創設の経緯や偉業の数々を紹介するエピソードが盛り込まれていた。


60歳前後の仁田大八郎
 映画の中心になったのは、仁田家に残された十六ミリフィルムと変色したわら半紙で綴じられた一冊のシナリオ。製作会社は定かでないが、シナリオ表紙の左肩には内務省の「検閲済」が押印されている。昭和九年、大八郎の立像建立と同じ年に作られた。

 元国語教諭で、函南文化協会長の土屋弘光が編集を担当した。「七十周年の式典に合わせ、田農に与えられた使命を生徒に伝えたかった」。土屋はプロカメラマンに付いて回り、朝礼時間や実習授業の合間にフィルムを回し続けた。映画は仁田家に残された貴重な映像とつなぎ合わせ、農村子弟の教育という田農の建学精神を浮き彫りにした。

 約四十五分の物語は、大八郎の数ある功績とは別に、日常の穏やかな横顔を浮かび上がらせる。晩年の人柄を象徴するエピソードとして今も語り継がれている話がある。

 まだ夜が明け切らぬ早朝。農民たちが前夜から庭先に放り出したままのリヤカーや閉め忘れの便所のくみ出し口が、翌朝になると知らぬ間に整えられている。「いったいだれがそんな親切なことを」。村中にうわさが広がり、人探しが始まる。

 見張り番の一人が思わぬ光景に出くわして息をのんだ。毎朝、村の巡回を日課にしていた大八郎が一つ一つを片付けて歩いている。見張り番は「先生様にそんなことをさせては罰が当たる」と遮るが、大八郎は「自分が勝手にやっていることだ」とやり返す―。

 土屋はこのシーンを「偉ぶったところや人を見下げることなく、校訓の誠実・勤勉・自治を体を張って示していた」と解説を加える。穏やかな物腰を崩すことのない人柄は村中のだれからも尊敬された。大八郎の子供でただ一人健在の三女、三浦喜代子(91)は「厳格に育てられたが、父から怒られた記憶がない。庭の馬が逃げ出した時、『大門を開けろ』と使用人に指示した。大声を張り上げたのはこの一度きり」と述懐する。けが人を出さない配慮からだったのか、逃げた馬をおびき寄せるためだったのかは判然としない。

 三年前の創立記念日、映画が全校生徒の目に触れる機会があった。生徒会長を務めた新井賢吾(平12卒)は「実家を継ぐ決意を固めるきっかけになった」と振り返る。農業への思いを一層強くし、東農大に進学した新井の目にはノイズ音の響くモノクロ画面は今も焼き付いている。

(文中敬称略)
 【注】カッコ内は卒業年。

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