<45>

歴代同窓会長

関与70年の生き字引き

 「田農に始まり、田農に終わる」。第十代同窓会長斉藤長徳(昭5卒)は約四十年にわたる教員生活を田農で貫いた。昭和四十七年、教頭職を最後に退職。「外に出るなら校長になれるのに」と何度も他校への異動を勧められたが、頑として拒んだ。生徒、同窓会時代を含め七十年以上を田農の発展にささげた。現会長梅原正義(昭16卒)は「生き字引的存在で、創設者仁田大八郎に継ぐ功労者」とたたえる。


田農OBの活躍が励みになると語る斉藤さん=函南町畑
 ハルピンから帰還した斉藤が教職に就いたのは昭和十一年。仁田大八郎の長男で、斉藤の恩師孝(故人)から教諭の道を勧められた。「実家の農業を継ごうと思っていたところに、ちょうど田農に欠員があった」。孝が県教委に働き掛け、運良く母校への配属が決まった。

 教員時代は「農業にうそやごまかしは効かない」が生徒への口癖だった。牛や馬の解剖実験、ハムやソーセージ、バターの製造実習など東農大時代に学んだ畜産技術を積極的に取り入れた。上履きで生徒の頭をたたく教諭を抑え、「手を上げても生徒は反抗するだけ。農業教員はキュウリでも豚でも、良いものを作る技術がないと生徒は納得してついてこない」と戒めた。

 長い教員生活の中でも「一番強烈な印象がある」と振り返るのは、教頭に就任した昭和三十年。他校との乱闘騒動や寄宿舎焼失など新聞紙上をにぎわす事件が重なり、「県教委に何度も呼ばれて事情説明に追われた」と苦笑する。

 農村家庭科(昭33年)や園芸科(昭41年)などの新設、牛乳処理室(昭34年)北校舎(昭45年)など施設拡充を含め、田農に残した功績は計り知れない。創立八十周年を迎えた同窓会長時代には、自分名義で五千万円を借り入れ、宿泊施設を備えた耕友会館を建てた。

 退職後、函南町議会議長を経て昭和五十三年から同町長を一期務めた。「伊豆のどこに行っても、田農OBが活躍している姿が励みになる」と斉藤。年一回の同窓会には必ず元気な顔を見せ、くしゃくしゃの笑顔で卒業生の一番の人気者になる。

 初代会長は野田豊信(明37卒)。ほかにも、伊豆長岡町長を務めた六代狩野清一(明40卒)磐田農高校長や函南町長を歴任した八代杉山弥三郎(大7卒)元熱海市長の九代川口美雄(大9卒)らが名を連ね、後輩の活躍を陰で支えた。

(文中敬称略)
 【注】カッコ内は卒業年。

引佐高の100年 富士宮農高百年  御殿場高 躍進の百年 静岡新聞へ