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歴代の“名物教師”が残したエピソードは色あせることがない。強い個性とあふれる情熱は、卒業生の心にしっかりと刻まれている。 農業担当の秋山文夫(昭22―57)は、農場でも廊下でも、常にニコン製のカメラを肩からぶら下げていたことから「にこちゃん」と呼ばれた。秋山は「卒業アルバム用にテスト風景を撮りたい」と口実を作っては、カンニングを狙う生徒と監視する先生の目と目が合う一瞬を狙った。生徒も抜群の表情を見せ、その姿が各地の写真展に並んだ。秋山は第二次大戦の激戦部隊の生き残り。フィリピン・ルソン島でトカゲを食べて空腹を耐えた話を真っ先に思い出すOBも多い。 「ユキチャン」こと農芸化学科の小野幸夫(昭29―55)は熱血漢で通った。極寒の信州で育った小野は冬でも素足。「静岡県人の甘ったるい根性をたたき直す」とことあるごとに言った。涙で竹棒を振るう小野に、不良グループも必死で食らいつく。HRに座学は行わず、狩野川の堤防に集めて人生訓を語り合うなど型破りな授業も人気だった。 ほおのこけた顔型から「ラッキョウ」と名付けられたのは畜産担当の増井和男(昭22―55)。兵役で身につけた馬術に優れ、乗馬部を引き連れて元旦に千本浜や十国峠をさっそうと駆け抜ける姿に生徒はあこがれた。田農初の鈴木梅太郎賞を受賞するなど農業クラブでも実績を挙げた。 白紙のざら紙を一枚ずつ配り、「勉強してきたことを記せ」。畜産担当の鈴木省吾(昭46―平2)のテスト問題だ。製薬メーカーの「動物を解剖した手でにぎり飯の食える生徒がほしい」の言葉に奮い立ち、やる気のある生徒をさらに鍛え上げた。顧問の畜産クラブは県レベルの共進会を総なめにした。 生徒は制服のホックが外れているだけで注意された。高橋成徳(昭53卒)は「怒るときの真っ赤な顔が忘れられない。先生のごり押しで、夜中の二時ごろまで文化祭や共進会の準備をした」と鈴木の情熱を思い出す。名前の「ご」をとって、五本の指を広げて大きく振りかざすと「省吾が来たぞー」の合図だった。 生物担当の小野泰(昭25―46、昭61―平1)は丸い顔が似ていたことから、ソ連の元首相「マレンコフ」がニックネーム。「生徒の悪さは自分にも責任がある」。規則を破った生徒に丸坊主を命じた翌日、小野も同じように丸坊主で学校に現れた。佐藤哲男(昭40卒)は「そこまでしなくてもいいんじゃないかと驚き、反省した」と懐かしむ。
(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。
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