![]() | <60> |
昭和二十七年十月、当時、三嶋大社の東側にあったエトアール劇場で創立五十周年記念「芸能祭」が開かれた。演劇好きの生徒が集まり、書き下ろしの創作劇「木枯らし」を演じた。約一時間の舞台が終幕を迎えても観客のだれ一人立ち上がらず、カーテンコールが鳴りやまない。校長戸塚静(昭22―30、故人)は生徒会誌「耕友19号」の中で「校史に貴重な一ページを刻んだ特に忘れられない思い出」と演劇部設立のきっかけとなった出来事を振り返る。
土屋は「差し入れに父母がおにぎりやさつま芋を持ってきてくれたりして、講堂で夜遅くまで練習した」。OBとして手伝った神尾は「それまで男子校なのに『アルルの女』をやっていたので、すでに周囲で話題になっていた。当日は昼夜の二回公演とも大盛況だった」と懐かしむ。 一年後に国語科教諭として着任する土屋弘光(昭28―50)が大学生の時に脚本を執筆した。昭和二十九―三十年にかけて正式に演劇部として活動が始まる。体育館の物置の一室を部室にした。メーンのけい古場は狩野川の堤防。杉山すえ子(昭36卒、旧姓菊地)は「線路沿いの牛舎で発声練習したこともあった。柵(さく)の向こうとこっちで、先輩から『語尾が聞こえん!』と大声でしかられた」と苦しくも充実した三年間を振り返る。 農村を舞台にしたオリジナルの創作劇を次々と発表した。農家の嫁姑、後継者問題が題材の「かどで」は昭和三十五年、県演劇脚本集に応募入選。自然災害から復興に立ち上がる農家の跡取りを描いた「折鶴(おりづる)」、戦後の生活苦から流行したワサビ泥棒の生涯を演じた「わさび沢」など全国のアマ劇団に広まった作品も多い。 (文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。
☆同窓会がエッセー募集 |
引佐高の100年 富士宮農高百年 御殿場高 躍進の百年 静岡新聞へ |