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演 劇 部

農村舞台の創作劇光る

 昭和二十七年十月、当時、三嶋大社の東側にあったエトアール劇場で創立五十周年記念「芸能祭」が開かれた。演劇好きの生徒が集まり、書き下ろしの創作劇「木枯らし」を演じた。約一時間の舞台が終幕を迎えても観客のだれ一人立ち上がらず、カーテンコールが鳴りやまない。校長戸塚静(昭22―30、故人)は生徒会誌「耕友19号」の中で「校史に貴重な一ページを刻んだ特に忘れられない思い出」と演劇部設立のきっかけとなった出来事を振り返る。


創立50周年記念に生徒らが演じた「木枯らし」。演劇部設立のきっかけとなった=三島市のエトアール劇場(昭和27年10月)
 当時のプログラムには「山峡の村落で奉られている地蔵にすがって生きる住民と、その信仰心を逆手にさい銭をだまし取る詐欺師のやりとりを描いた悲劇」という旨のあらすじが記されている。主演松川豊(昭28卒、旧姓宮本)をはじめ、鈴木敏次、土屋稔(同)、神尾孝雄(昭27卒)、小林善造(昭29卒)のキャスト陣。裏方には、照明の山本正和、衣装の太田富雄(同)らがいた。三島北高定時制の演劇クラブOBでつくる劇団「麦座」に女役を頼んだ。

 土屋は「差し入れに父母がおにぎりやさつま芋を持ってきてくれたりして、講堂で夜遅くまで練習した」。OBとして手伝った神尾は「それまで男子校なのに『アルルの女』をやっていたので、すでに周囲で話題になっていた。当日は昼夜の二回公演とも大盛況だった」と懐かしむ。

 一年後に国語科教諭として着任する土屋弘光(昭28―50)が大学生の時に脚本を執筆した。昭和二十九―三十年にかけて正式に演劇部として活動が始まる。体育館の物置の一室を部室にした。メーンのけい古場は狩野川の堤防。杉山すえ子(昭36卒、旧姓菊地)は「線路沿いの牛舎で発声練習したこともあった。柵(さく)の向こうとこっちで、先輩から『語尾が聞こえん!』と大声でしかられた」と苦しくも充実した三年間を振り返る。

 農村を舞台にしたオリジナルの創作劇を次々と発表した。農家の嫁姑、後継者問題が題材の「かどで」は昭和三十五年、県演劇脚本集に応募入選。自然災害から復興に立ち上がる農家の跡取りを描いた「折鶴(おりづる)」、戦後の生活苦から流行したワサビ泥棒の生涯を演じた「わさび沢」など全国のアマ劇団に広まった作品も多い。

(文中敬称略)
 【注】カッコ内は卒業年。
    

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