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乳牛共進会(上)

プロと互角に渡り合う

 改良牛の産出に取り組む畜産科が全国レベルの共進会で活躍するようになったのは昭和五十年代から。自分たちで種付け・助産した牛を調教し、ひのき舞台でプロの酪農家と互角以上に渡り合った。正面玄関に並んだ数々のトロフィーは担当教諭鈴木昭吾(昭22卒、昭46―平2)と畜産科生徒が共進会に燃やしたエネルギーの質の高さを物語る。


生徒の育てた改良牛が中部日本B&Wでグラウンドチャンピオンに輝いた(昭和54年6月)
 田農は古くから「セジス」「ニーバナ」の二大系統で優良牛を産出する。とりわけ「仁田大八郎が外国から輸入した」とされるセジスは数多くの勲章をもたらした。

 田農を全国区にのし上げたのは昭和五十二年四月の第二回中部日本ブラック&ホワイト(B&W)。「高校生の出場は画期的なことだった。舞い上がって足が震えた」という手綱役高橋直人(昭54卒)の「セジス・ポンチァク・マジックローヤル」が未経産の部で王座に就いた。「こんなに見事な手綱さばきを見たことがない。牛よりも生徒に賞をあげたい」という審判員の講評は、応援に駆け付けた生徒に大きな自信を与え、全国の農業高が共進会を目指す先駆けともなった。

 牛の魅力を知った高橋は卒業後、北海道や米国で十年ほど研修を積み、牧場経営のサポート会社を設立。改良牛産出の第一人者として全国酪農家の信頼も厚い。平成六年には全国ホルスタイン改良協議会の認定審査員に選ばれた。「共進会を通して酪農家と一般の方々の接点を作るのがこれからの自分の仕事」と語る。

 共に改良牛に情熱を注いだ後輩の高橋康明(昭55卒)は昭和五十四年、未経産「セジス・ポンチァク・ツュータークイン」を率いて県B&Wに続いて中部日本B&Wのグラウンドチャンピオンを獲得した。

 酪農家に生まれた高橋康は中学時代、父親の定男(昭29卒)が育てた牛で第一回大会に出場していた。結果は二等。「おやじが引いていれば優勝だったのに」という関係者の声がずっと忘れられなかった。「自分にとってはいわば雪辱戦だった」と思い返す。

 内地より格段に改良技術の進んでいた北海道の酪農家から「北のB&Wに出てみないか」と誘われた。経費の問題と、牛に過剰なストレスを与える長時間のトラック輸送。だが、高橋康は「北海道に行っても勝負できる器」とパートナーに絶対の自信があった。畜産科全体の熱意が実り、歴史的な北海道遠征が実現した。

 大会前夜の担当生徒は一睡もせずに牛の体調を整えなければならない。高橋康は「疲れと緊張で、当日の朝に鼻血が止まらなかった」。二等の結果に悔しさが残ったが、学校に戻ると運動場での盛大な報告パレードが待っていた。

(文中敬称略)
 【注】カッコ内は卒業年。
    

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