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「日本の酪農界は安泰だ。右も左も分からないはずの高校生が日本を牛耳るような専門家を打ち負かした」「君たちの活躍が共進会に新風を吹き込んでいる」。畜産科教諭だった鈴木昭吾(昭22卒、昭46―平2)は審判員から生徒に送られた賛辞の一つ一つを今でも鮮明に覚えている。
田農産牛の成績は、昭和二十八年の県畜産共進会名誉賞が最も古い。当時は農場職員が管理を担当した。牛舎や育成舎が充実した昭和五十年代から、生徒が繁殖から飼養管理まで手掛けている。泊まり込みで牛の助産に備えると、当時の校長平賀房二(昭51―55)が分娩(ぶんべん)室に顔を見せ、夜食を差し入れてくれた。学校中で畜産科を後押した。
森野は「地元で三等、東部で二等、県で一等。信じられないが、上へ行くほど成績が上がった。牛と一緒に経験を積み、共進会の雰囲気をつかんだのだろう」と回想する。 毎年十月に開く函南町共進会は「田農OB対現役生の戦い」を描き出す。先輩後輩、時には親子が同じ土俵で勝った負けたと一喜一憂する。 生徒が全国で結果を残すようになると、酪農に携わる岩城衛(昭31卒、旧姓鈴木)広田策穂(昭29卒、故人)らOBが後援会を立ち上げた。息子四人を畜産科に送り込んだ岩城は息子たちに軍配が上がった年は追っかけで各地を回る。「高校野球と同じ、甲子園に応援に行く感覚だった」。全国有数の酪農地を背負って立つ息子の晴れ舞台に胸を躍らせた。 (文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。 |
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