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第二次大戦後、農村の保守的な意識改革を促そうと誕生した学校農業クラブ全国大会。県内のほとんどの農業高では生徒会長が学校農業クラブ会長を兼務し、生徒全員がクラブ員となる。全国大会は「農高生の甲子園」とも呼ばれ、約十一万人の農業者の卵たちが農業に関するあらゆる知識や技術で真剣勝負を繰り広げる。
特に得意としていたのは家畜審査競技。昭和三十九年、堀江巖(昭41卒)が豚部門で初の全国大会優秀位を獲得した。平成元年の大分県開催では家畜審査競技の肉牛と乳牛との両部門で半田則正(平2卒)と大隅馨(同)がそれぞれ全国優秀位を飾り、関係者を驚かせた。 出題される牛が当日まで秘密にされ、初めて見る四頭を乳房、前駆、肢蹄などの部位ごとに優秀な順に番号を付ける。秘策はあった。生徒らは到着したその足で現地大分の農協指導部に頼み込み、牧場巡りをした。家畜レベルを自分の目で確かめ、その地方独特の牛の特徴を把握するためだった。 半田は「優秀な丹那牛よりもレベルが低すぎると本番で戸惑うから。現地の牛を見て、良い部分や悪い部分を批評しながら見抜く力を養った。本番では、思ったよりも良い牛が出てきて、しめたと思った」と思い出す。 各部門を含めた全国初の優秀位は昭和三十年の平板測量競技で、校内推薦で選ばれた村川一雄、杉山清徳、渡辺恒利(昭31卒)の三人が活躍した。担当教諭の野田翠二(昭27ー46、昭52ー平1)がたたき込んだ技術は「野田方式」と呼ばれた。三人は器具の使い方と役割分担のチームワークに優れ、時間制限内の半分で競技を終わらせた。 農業鑑定競技は全国の農業高の農業、園芸、農業土木など各科から校内選考を勝ち抜いた代表一人ずつが出場する。田農が獲得した優秀賞は五十回を超える。中でも昭和四十六年に小川保(昭47卒、故人)が残した畜産部門の最優秀位はひときわ輝く。生徒会誌「耕友」の中で小川は「問題は各分野から総合的・多角的に出題された。おもしろみがあって全国大会の醍醐味さえ感じられた」と大会を楽しむ余裕すら感じさせ、「競技慣れしていることが最大の要因」と胸を張った。 (文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。 |
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