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地方分権時代の町村のかじ取りを担う田農OBは五人。函南町長の芹沢伸行(昭31卒)と韮山町長の渡辺解太郎(同)は同級生。 芹沢は六歳の時に父親を病気で失った。「子供心に母の手伝いをしなければ」と奮い立ち、田農に進んだ。放課後もまっすぐ帰宅し農作業に明け暮れた。 昭和四十四年、三島に新幹線駅ができたことをきっかけに一大決心する。脱サラし、代々受け継いできた田約七千九百平方メートルを売却した。駅前にビルを購入し、不動産貸付業を開いた。「一寸先はやみ。変革の激しい時代に、決断力と的確な判断力が求められるのは政治も同じ」と芹沢。現在二期目。町内に大打撃を与えた三年前の集中豪雨以来、市街地を流れる来光川の改修に力を注ぎ、来年の完成を目指す。 一期目の渡辺は助役時代に建設に携わった韮山時代劇場や運動公園などの有効活用を図る。「人をかきわけて前に出るタイプではない。やり出すと夢中になってしまう」と自己分析する渡辺だが、田農時代から指導力は際立っていた。「髪を伸ばすと悪いことをするという考えはおかしい」と、全校生徒の前で坊主刈り廃止の演説をぶち、解禁を勝ち取った。三年で生徒会長。ラグビーに燃え、ストライキの先頭にも立った。 賀茂村長の山本正和(昭29卒)が五人の中で最年長。寄宿舎生だった山本は三島市内にあった六つの映画館に入り浸った。映画館と交渉し、田農生半額デーを月に一回設けてもらった。学校にポスターを張って仲間を引き連れて繰り出す。山本はいつでもフリーパスだった。三年間で五百本近く見た。「男らしさにあこがれ」てジョン・ウェインの西部劇にのめり込んだ。 天城湯ケ島町長の立岩博明(昭33卒)は写真に夢中になり、自宅に暗室を作るほど力が入った。「農家の長男の学校だから入学した時から就職先が決まっているようなもの。のんびりしていて今と違って心にゆとりがあった」。現在はデジカメにはまり、コレクションは二十台に上る。町内九つの「全国○○百選」を町活性化に結び付け、「療養を含めた滞在型の観光地で生き残る」と強調する。 清水町長の平井弥一郎(昭35卒)は柔道一色の田農時代を過ごし、団体戦で東部三位に入ったのが思い出深い。三年時に風紀委員長を務め、「長髪や変形ズボンを履いている後輩をビシビシとやった」。柿田川を中心に据えた環境重視の町づくりに取り組む。 歴代には、函南町の杉山弥三郎(大7卒、故人)斉藤長徳(昭5卒)、伊豆長岡町の狩野精一(明40卒、故人)、修善寺町の三須忠衛(昭10卒)、戸田村の稲木一雄(大9卒、故人)。韮山町の松下友平(大10卒、故人)、土肥町の大木一清(昭20卒)、熱海市の川口美雄(大9卒、故人)、沼津市の原精一(大15卒、故人)らがいる。 (文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。 |
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