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県 議

苦労を糧に政界へ躍進


高校時代の思い出を語る水口俊太郎さん=函南町間宮
 五期目の水口俊太郎(昭28卒)が農家から政界に転身したのは昭和五十年、四十歳の時だった。地元の農家から「かまや鍬(くわ)より人中の方が向いている」と町議選に担ぎ出された。そのころ丹那地区は耕土改善事業の真っ盛りで、以前から役場との交渉を得意としていたことも理由の一つだった。

 当時の町議二十人のうち、昭和生まれは水口と共産党の志良以孝(昭21卒)の二人だけ。「昭和生まれにも町政に参加させろ」をスローガンに、血気盛んな選挙戦を展開した。

 「野心も特にないまま町議になったが、本当に政治の面白さを知ったのは一期目が終わりかけたころ。よろず相談屋のような役割が自分には向いていた」と振り返る。昭和五十八年、田方郡の県議枠が二人から三人に増えたのをきっかけに、県政に活躍の場を求めた。副議長も経験した。平成十年、地方自治の発展に貢献したことが認められ、藍綬褒章を受けた。

 田農では一、二年が陸上部。三年で相撲部に転向し、小兵ながら個人戦で県大会優勝を果たした。「乳牛飼育について」をテーマに農業クラブの意見発表会で県大会優勝を飾る。三年は風紀委員長に立候補。年間四百足ほど盗まれる下駄(げた)問題に目を付け、「私が当選すれば、下駄の盗難はなくなる」と演説した。応援団の圧倒的な支援があった。

 小坂寿美夫(昭32卒)も水口と同じく五期目。今年一月に開かれた議員生活二十周年記念祝賀会。小坂は「投票してくれた人の期待感に支えられた二十年だった」と支援者八百人を前に感極まった。田農に籍を置いたこともある杉山憲夫が国政に転身した穴埋めとして担がれた。

 祖父林作(明38卒、故人)が長泉町収入役として町づくりに取り組む姿を見て育った。四十二歳で町議にトップ当選。「農家を受け継ぐのが自分の宿命と疑わなかった。どこで間違えたか政界に。人生には予期しないこともある」と笑う。

 田農では野菜クラブ長。収穫した野菜を自転車で売り歩いた。売上の一部を後輩のラーメンやアイスクリーム代に確保。兄貴分的な性分は昔からだった。小遣いで買った三国志や新平家物語を一年がかりで読破する文学青年の一面もあった。「若い時にスポーツでも農作業でも一生懸命汗を流すこと」と後輩にエールを送る。

 このほか、田辺寿之助(明39卒、故人)鈴木次郎(大4卒、故人)瀬川芳孝(昭35卒)狩野精一(明40卒、故人)土屋平壱(大15卒、故人)らが県政の一翼を担った。

(文中敬称略)
 【注】カッコ内は卒業年。

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