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柿宇土の診療所にやって来るのは、ほとんどが捨てられた犬猫。「地域の優しさが分かり、無下にはできない」。手に負えなければ、迷わずに設備の整った病院を紹介する。休日や深夜には、ほかの病院で突き返された犬猫の“最後の砦”になることも多い。 酪農全盛のころ、獣医の花形は乳牛治療だった。昭和二十年代は「長崎熱」が流行した。二十二歳で開業した柿宇土は、地元の酪農組合長に用具の入ったかばんを持たせ、一軒一軒の牛舎を歩いて回った。暴れる牛と格闘しながら、一日百五十頭を採血した。人工授精の腕にも酪農家たちの信頼は厚かった。 「まさか犬猫だけの診療の時代が来るとは思わなかった」と柿宇土。「大きな動物を相手にする体力が無くなった」ことを理由に、十年ほど前から小動物の診療に絞る。時期を重ねるように、酪農は衰退し、ペットブームが到来した。 日本獣医畜産専門学校卒。新設された農業共済組合家畜診療所に二十年以上勤務した。田方獣医師会副会長、県獣医師会理事を歴任。「メスと聴診器を持って五十年が過ぎた」と振り返る。現在はデジカメに夢中で、元気になった犬猫と飼い主の笑顔が診療所に並ぶ。治療代の代わりに、子供たちから届いたお礼の手紙が宝物だ。 獣医畜産科一回生の大城道也(昭21卒)とは、家畜診療所で長く一緒だった。大城と同級の相原幸雄(同)は丹那の酪農を縁の下で支えた獣医の一人。乳牛治療の腕に定評があり、地元の酪農家は相原と一緒に将来の酪農について語り合ったことを懐かしむ。 県畜産会常務理事の中村譲(昭34卒)は、専門性を持った県職員の道を選んだ。畜産部門に籍を置き、昭和四十年代にはびこった豚コレラなど伝染病の防疫対策に尽力。昨年、県畜産試験場長で退職した。 田方郡獣医師会長には、笹原和三(昭22卒、故人)内野高博(昭41卒)らがいる。 (文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。 |
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