<76>

経営者

"挑戦"が切り開く事業


AAB工法で業績を上げる杉山要さん=三島市大場
 カナダ生まれの新しい鉄筋コンクリート工法(AAB工法)がヒット。県内の建設業界の話題をさらい、大場建設社長杉山要(昭22卒)はベンチャー経営者の欠かせない一人に数えられるようになった。

 AAB工法は断熱性や遮音性に優れ、森林伐採につながるコンパネを使わないため、環境に優しい。工期の短縮やコスト削減にもつながった。

 社長就任は昭和四十六年。創業から社を支えている幹部社員と意見がぶつかることもしばしばだったが、杉山は最先端の技術を求めて海外を渡り歩く。「技術屋は自分たちの仕事に絶対の自信を持っているため、保守的なところがある」と、導入に反対する幹部の気持ちを組みつつ、その度に現場に連れ出す。「挑戦する気概が大切。やってみなければ分からない」と説き伏せた。

 田農卒後、父親が戦後間もなく設立した製材所の手伝いを始めた。経営のかじを取るようになった杉山は昭和三十三年の狩野川台風をきっかけに建築業にも手を広げた。「得意先だった業界を敵に回したのが一番つらかった」と苦渋の決断を振り返る。

 約六十人の従業員を抱え、地場中堅の一角にのし上げた。年商三十五億円の半分近くを賃貸マンション建設で支える。三島田方法人会、三島建設協会の副会長。「泥と汗にまみれるのは気持ちがいい」という杉山の限られた休日の楽しみは家庭菜園。今年は収穫した三百個のスイカをお中元に配った。

 一方、加殿木工所社長の増島正孝(昭18卒)は狩野川台風を境に、製材一筋に生きる。全国木材組合連合会長表彰(昭和62年)林野庁長官表彰(平成元年)県農林水産業功労者表彰(平成5年)を受けた。

 今は外材に圧迫される内地材だが、戦後間もなくは需要に仕入れが追い付かなかった。増島は「ヒノキを荷台に乗せた馬力が姿を見せると、木こりや大工と一緒にコップ酒で乾杯した」と懐かしむ。

 昭和二十四年、「畳のある間は下駄は廃れない」の言葉を信じて下駄工房を創業したが、失敗。余木で作ったイチゴケースが起死回生になった。だが、狩野川台風でイチゴが大打撃を受けると、倒壊家屋を眺めるその足で、すぐに製材機を購入。流れを見極め、難局を乗り切る身の軽さも備えている。

(文中敬称略)
 【注】カッコ内は卒業年。

引佐高の100年 富士宮農高百年  御殿場高 躍進の百年 静岡新聞へ