▼しまむら ひでき氏
1941年、東京都生まれ。東大理学部卒。北海道大海底地震観測施設長を経て、同大理学系研究科教授、同大地震火山研究観測センター長。著書に「地震は妖怪 騙された学者たち」(講談社)、「地震列島との共生」(岩波書店)「地震と火山の島国−極北アイスランドで考えたこと」(岩波ジュニア新書)など。
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■ 島村 英紀
2001/03/26
■あれだけの「前兆」があったのに
地元の人たちは、のどから心臓が飛び出すような思いをしていたに違いない。その火山では、突然、火山性地震が増え始め、三カ月後には、日に四百回という回数になっていた。四十年前、ここに地震計が置かれて以来、最も多い地震だった。
しかも震源は山頂直下だった。噴火の前には、はじめ震源は深く、しだいに浅くなって山頂の直下に至ることが多い。マグマが上がって来るとともに、火山性地震も上がって来るからである。
話に聞いていた悪夢が、皆の頭をよぎった。この火山はかつてすさまじい噴火をして、山の上半分を吹き飛ばして、山の形を激変させてしまったことがある。百年ほど前、富士山の宝永噴火よりもずっと後のことだ。水蒸気爆発と泥流でいくつもの村や山林や耕地が埋まったほか、約五百人もの死者が出た。
やがて、山頂直下で起きる低周波地震や火山性微動も時々観測されるようになった。これも四十年来初めてだった。一九八九年に伊東市沖の海底で手石海丘が噴火したときも、群発地震から始まり、火山性微動が出て、間もなく噴火した。
まだ山頂から蒸気は出ていないようだった。しかし、地殻変動や地磁気のデータにもわずかながら変化が出始めていた。
いつ噴火しても不思議ではなかった。他の火山では、この程度の「前兆」で噴火した例はいくらでもあった。
しかし、結局、噴火はしなかった。
火山性地震は次第に減りはじめ、観光で生きる地元は、気象庁や噴火予知連絡会が渋い顔をしているのを尻目に、独自の判断で入山規制を解除した。結果的には、気象庁の判断よりは正しかった。昨年夏、福島県の磐梯山での出来事である。
いや、私は前回の地震の例や今回の火山の例で「前兆」が出ても無視していいと言っているのではない。もっと少ない前兆で地震や噴火が起きたことも多い。もちろん、何が起きてもいいだけの備えをしておくのが望ましい。
残念なことながら、現代の地球科学は、地下で何が起きようとしているのか、正確に知る能力を、まだ持ち合わせてはいない。
「引き続き注意が必要です」といった紋切り型の発表にしびれを切らした地元の独走は痛いほど分かる。しかし、実際に何が分かっていて、何がまだ分かっていないのかを正確に理解してもらうことは、実に難しいことなのである。
2001/03/19
■待っていた 地震が消えた?
世界の地震学者が、ここならば地震予知は簡単だろうと考えていた場所がある。 そこでは、すでに六回の地震が、二十年から二十五年ごとに起きてきて、まもなく、最後の地震から二十五年がたとうとしていた。いままでに起きた地震は、マグニチュード(M)6ほど。地震はどれもうり二つで、たとえば約九千キロ離れたオランダの地震観測所で記録された地震記録は、見分けがつかないくらいよく似ていた。
昔のことは分かっていなかったが、最近の二回では、本震の十七分前にマグニチュード5くらいの前震があることまでそっくりだった。
このため、この地域のまわりには網の目のように観測点が敷かれ、次の地震を待つ準備は万端であった。
そして、ある日、マグニチュード4・7の地震が起きた。誰の目にも、これは来るべき地震の前震だと映った。
そのうえ、地殻変動や井戸の水位にも変化が現れた。
そして、息を殺して待つこと数時間、一日。数日。しかし何も起きなかった。
数週間。やがて数カ月。
結局、地震は起きなかったのだ。もしかしたら三年や五年なら遅れるかもしれないと思った学者もいた。しかし、今日現在、「前震」が起きてから八年半もたってしまったのである。
ここは米国カリフォルニア州のパークフィールドというところだ。ロサンゼルスとサンフランシスコのほぼ中間にある。地震の規模はもっと小さいが、実は日本でも宮城県で同じような例があった。
大地震が繰り返すメカニズムは、日本庭園にある添水(そうず)のようなものだと信じられている。つまり、地震を起こすエネルギーが一定の早さで溜まっていって、やがて限度を超えると、地震が起きる。神奈川県西部地震も東海地震も、このメカニズムが繰り返すという想定のもとに、起きるかもしれないと警告されているのである。
もし、地震も造物主が起こすのだとしたら、造物主にも、気まぐれや選手交代があるのかもしれない。残念ながら現代の科学は、まだそれを読めるわけではないのである。
2001/03/13
■富士山は丁寧に造ってきたはずが?
造物主は日本列島をごった煮として造った。その後も、じつにまめに、いろいろ造ってくれている。一番熱心に造ってくれているのは火山だろう。伊豆半島が日本列島に最後にくっついたのは、地球の歴史を一日にたとえれば、わずか九秒前だという話をした。その後、矢継ぎ早に、箱根を、そして富士山を何もないところから造り上げてくれた。いま活発な活動をしている日本の火山のすべては、地球の歴史では、ごく新しいものばかりなのである。
伊東市の近くにある大室山(標高五八〇メートル)は、まるで昔の菓子「甘食」のような形をしている。これは、造物主がたった一回だけ噴火させて造った瞬間芸のような火山だ。じつは、この近くの伊豆半島には、このような一回きりの噴火で終わってしまった火山が多い。たぶん、これら火山を造った造物主は、飽きやすい質(たち)なのであろう。
これらに比べて、富士山はずっと丹精込めて造られている。
最初に着手して噴火を起こしたのは伊豆半島がくっついてからほどない頃だった。しかしその後、大変な回数の噴火を繰り返しながら、溶岩と火山灰からなる岩を、かわりばんこに、それぞれ一枚ずつ、山頂から麓(ふもと)まで、かぶせていった。まるで菓子のバウムクーヘンのような、丁寧な造りになっているのである。その結果として、広重や北斎が描く美しい形ができてきたのである。
しかし、一番最近の宝永の噴火(一七〇七年)だけは不思議だった。この噴火は山頂ではなくて山腹から噴火したからだ。また、今までにない大規模な噴火でもあった。この噴火のせいで、富士山の形が醜くなってしまったことは誰でも認めるだろう。
私たち地球科学者は、造物主の真意を測りかねているところがある。
造物主の手が滑ったというべきなのだろうか。
地球は生まれてから二度と同じ姿にはならずに姿を変えてきた。同じことが無限に繰り返されることはない。いつかは変わることなのである。
もしかしたら、宝永噴火を境に、別の造物主にバトンタッチしたのかもしれない、と私は思っている。
2001/03/05
■揺らぐ?日本最古の石の歴史
前回はインド大陸が南極大陸と袂(たもと)を分かって北上した話をした。地球の歴史を一日にたとえたときに、分かれたのは今から三十分前、今のインドの位置にたどり着いてから衝突によってヒマラヤ山脈を押し上げはじめたのが十二分前のことだ。日本列島が大陸から分かれて生まれたのが六分前だから、インドと南極が一体だったのは、だいぶ前のことになる。しかし、日本に関係のない、遠い話だとは思わないでほしい。たとえば浜名湖から佐久間ダムや赤石山脈を通って八ケ岳に至る幅二十キロほどの帯状の地層の上に住む静岡県人や長野県人は、インドが南極と分かれたより二倍も古い、約二億年前の岩の上に、いまでも住んでいるからである。
日本列島が誕生したより十倍も前の時代の岩が県内にある、というのは不思議に聞こえるかもしれない。
つまり、この辺の岩は、日本列島がまだ大陸の一部だったときに造られて、はるばる、ここまで旅をしてきたものなのだ。日本列島は、造物主がごったな寄せ集めとして造ったものだ。その材料は、元になった大陸がそもそも造られたときにできた岩や、大陸になってから造られた岩や、また大陸から分かれて日本列島になってからくっついてきた火山島や海底火山や、そのはるか後に噴火してできた富士山のような火山などである。
ところで、日本最古の石は岐阜県七宗町で発見された。約二十億年前、さっきの時間だと、ほとんど半日も前に生まれた岩だ。名古屋から高山へ行く途中で、ここには「日本最古の石博物館」が造られて町おこしに役立っている。発見されたのは石ころのような小さな岩だった。
静岡県境からわずか七十キロしか離れていないところだ。現在の地球科学は、なぜこの岩が今の岐阜県にあって、なぜ今の静岡県になかったかを説明することはできない。
しかし、最近の研究では、もしかしたら、日本列島のほかの場所ですでに発見されているジルコンという岩のいくつかは、三十億年前にできたものではないかという説が出てきている。
世界最古の石であるオーストラリア西部で発見されたジルコンの四十三億年にはかなわない。だが、岐阜の首位は揺らぐかもしれないのである。
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