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しまむら ひでき氏
 1941年、東京都生まれ。東大理学部卒。北海道大海底地震観測施設長を経て、同大理学系研究科教授、同大地震火山研究観測センター長。著書に「地震は妖怪 騙された学者たち」(講談社)、「地震列島との共生」(岩波書店)「地震と火山の島国−極北アイスランドで考えたこと」(岩波ジュニア新書)など。

島村教授のホームページ

  ■ 島村 英紀


2001/06/25
■前兆だとは分からなかった不幸

 六月三十日は私たち地球科学者にとっては、苦い思い出の日だ。

一九八九年のこの日に始まった伊東沖の群発地震は、はじめは、それまでよくあった群発地震と同じに見えた。伊豆半島の東の沖では、それまでの十年間に二十回も群発地震が起きていて、つい前年も夏に一カ月間、群発地震が起きたばかりだったからだ。

七月九日にはマグニチュード(M)5・5の地震が二回起きた。伊東での震度は5を超えた。しかし、この地震を境に、群発地震活動は急速に衰えていった。七月十一日には、気象庁は、地震が終結する可能性が強いと発表した。

その後、誰も予期しなかった展開になった。その日の夜だった。微動という、地面が連続的に揺れ続ける振動が記録されたのだ。微動は火山噴火につきものの振動で、普通の地震活動では出ない。

そして、微動が出て二日後の七月十三日夕方に、伊東沖四キロの水面で、突然、海底火山の噴火が起きた。この噴火を最初にとらえたのは観測機械ではなく、民放のテレビカメラだった。気象庁をはじめ科学者は、テレビの画面を見て現状を追認することになった。

あとから見れば、群発地震に始まって、大きめの地震が起き、やがて微動が発生したという一連の動きは噴火の前兆だった。つまり前兆はすべてとらえられていたのだが、それを噴火の前兆としては認識できなかった。苦い思い出なのである。

苦い思い出はもう一つある。観測と研究の体制の問題だ。それまでは、国の計画である噴火予知計画と地震予知計画とは別々に動いてきた。それぞれの予知連絡会の事務局は別の官庁にある。

それぞれには縄張りがあり、地震は「地震」の、そして噴火は「火山」の担当に分かれている。このときは、火山性微動が出たときに「地震」側では虚を突かれ、他方、噴火までの二日間では「火山」の体制は間に合わなかった。国民に恥をさらしたのである。

さて、それから十二年。何が変わったのだろう。

じつは、何も変わっていないのだ。それどころか「火山の本部」は相変わらずのうえ「地震の本部」は二つから三つに増えた。そのどれもが、今回の省庁再編でもそのまま生き延びている。

はて、人間というのは経験から学べる動物だったのではないだろうか。


2001/06/18
■看板から「地震予知」が消えた

 小説に勝るミステリーが起きた。国立の大研究所で、ある朝突然、看板が一斉に掛け替えられたのである。

 「地震予知研究センター」だったものが「地震調査研究センター」になった。また「直下型地震予知研究室」が「直下型地震調査研究室」になった。「海溝型地震予知研究室」が「海溝型地震調査研究室」になり「第一地震前兆解析研究室」も「高度震源解析研究室」になった。

 同時に、この研究所の看板であった関東と東海地域一円の観測データを収集して処理する計算機システムの名前が「地震前兆解析システム」から「地殻活動解析システム」に替えられた。

 つまり、地震の前兆を解析したり、地震予知を研究したりする研究室や設備が一挙に姿を消してしまったのであった。

 まるで、頼りにしていた病院の診療科の名前が全部替わって、ちんぷんかんぷんな名前になってしまったようなものだ。阪神大震災が起きた年のことだ。

 では、なにを研究し始めたのだろう。じつは、この研究所では、それまでと同じ陣容で、同じ研究を続けている。つまり、同じ中身に看板だけを掛け替えたのである。

 この研究所は科学技術庁(今は文部科学省)の傘下にある研究所だ。

 看板の掛け替えには、上部組織である科学技術庁の事情があった。一九七六年の閣議決定で設置された「地震予知推進本部」が阪神大震災のあった一九九五年に廃止され、新たに「地震調査研究推進本部」が作られていたからだ。二つの本部とも、本部長は科学技術庁長官だ。

 つまり、本店が看板を掛け替えたから、支店や支部も看板を掛け替えざるを得なかったというわけなのだ。

 ところで、科学技術庁が地震予知という看板を下ろしてしまったことを、国民に十分に説明したのだろうか。

 医者もインフォームド・コンセントの時代だ。患者に、病状や治療の見通しや危険について、十分の説明をする義務があるはずだ。国民全体を人質に取っているような地震予知計画でも同じことのはずである。

 ミステリーならば、得をしたものがいるはずだ。それはたぶんお役人だろう。変わり身が早いのも、官庁の組織を守る上でしたたかなことも、たいへん優秀な人たちなのである。


2001/06/12
■心理学者がたしなめた「前兆」

「昨夜、夜中に三回も目がさめた」「近所のカエルが異常なほどうるさかった」「夜中に飼い犬が鳴き出して泣きやまなかった」「一週間前、朝焼けの中に見たことのない変わった形の雲を見た」「ラジオの受信状態が悪い」「テレビのリモコンが急に利かなくなった」「時計が狂った」。

これらはなんだろう。大地震の前兆だという読者が多いに違いない。しかし、これらはみな、ニセの前兆だったのだ。

大地震が起きたときに、そう言えば、と思い出す現象がいろいろある。阪神大震災後に、この「前兆」を集めた地球科学者が書いた本が三冊も出た。週刊誌やテレビに出る前兆も数知れない。

この種の「前兆」が、心理学者に厳しくたしなめられたことがある。要するに科学的ではない、というのだ。ちょうど一年前、東京で開かれた地球科学の学会の席上でのことである。

この心理学者は信州大学の先生だ。「今日、長野で大地震が起きたと仮定する。前兆現象として思い当たることはなかったか」と学生に問い、書かせたものをまとめた。もちろん、実際には地震がなかった日のことだ。

六四パーセントもの学生が「前兆」を報告した。阪神大震災のときに報告されたのと同じ「前兆」も多かった。それが最初に並べた回答だったのである。

心理学者は、現象について先入観や期待を持っている被験者では、いつでも起き得るような出来事のなかに、意味のある現象を見出してしまう、と言う。ふだん何気なく見ていることでも、大地震がなければ忘れてしまう。地震があったから、そう言えば、ということになるというのだ。

最近の心理学はさらに不思議なことを発見した。大地震のような大事件が後から起きると、「実際にはなかった観察」の記憶さえ、鮮明に再生されることがあるのだという。

はて、最新の心理学の前では、大地震の後に、あんな前兆もあったと今まで言われたことがすべて怪しくなってくる。

大地震の前にあると言われる「宏観現象」を証明するためには、犬が何度鳴いたのか、カエルが何時間鳴いたのか、毎日、克明に、日記に付けておかないと信用されなくなる時代になりそうである。


2001/06/04
■寒冷前線が通れば 地面が膨らむ?

これは近未来の想像上の風景だ。現実のことだと思って慌てないでほしい。

何年かぶりに伊東沖に群発地震が起きて、地元の人々は不安な日々を送っていた。東京・大手町にある気象庁では、いくつもの表示装置が、地震や地殻変動など時々刻々の状態を監視していた。

人々の間に緊張が走った。見る見るうちに地殻変動のデータが異常を示し、伊東市や熱海市網代の周辺で十センチの隆起を示したからだ。

これは東海地方には約十キロごと、静岡県内に五十地点以上も設置してあるGPS観測装置からのデータで、地殻変動の新しい観測手法としてもっとも期待されているものだった。普段はミリ単位の変動を測っているから、十センチとは、なんとも異様なデータだ。

数時間のうちに、これほど地面が盛り上がるのはただごとではない。マグマが上昇してきたのだろうか。陸上で噴火が始まるのだろうか。

しかしこの異常なデータは、ちょうど上空を通過していた寒冷前線のせいだった。本当の地殻変動ではなかったのだ。

GPSというのは、米国の軍事衛星からの電波を受信して観測装置が置いてあるところの緯度、経度、それに標高が分かる仕組みだ。カーナビにも利用されているが、ずっと精度のいいものが観測用に使われている。電波だから、空気中の水蒸気の濃い薄いのムラの影響を受ける。寒冷前線など気象条件によって、ニセの地殻変動信号を作ってしまうのだ。

国土地理院は、日米の貿易摩擦の解消という国策のもとに、米国製のGPS観測装置を千台買って、九〇年代半ばまでに全国に配備した。

いままでは地上を人が歩きながら測量していた。だから注目されている掛川・御前崎間の測量も年に四回しかできなかった。それに比べてGPSは精度は同じくらいで、圧倒的に能率がいい。このため、データを時々刻々得られるように、いま改造が進められている。

しかし、じつは気象という邪魔者が潜んでいたのだ。もともとは砂漠や北極など地図のないところで戦うために開発された軍事技術だ。

まさか、ミリ単位の地殻変動に日本人がピリピリすることまでは考えに入れていなかったに違いない。



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