▼しまむら ひでき氏
1941年、東京都生まれ。東大理学部卒。北海道大海底地震観測施設長を経て、同大理学系研究科教授、同大地震火山研究観測センター長。著書に「地震は妖怪 騙された学者たち」(講談社)、「地震列島との共生」(岩波書店)「地震と火山の島国−極北アイスランドで考えたこと」(岩波ジュニア新書)など。
島村教授のホームページ
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■ 島村 英紀
2001/08/27
■私が地下水温を測り続ける理由
一九七九年のことだ。焼津市小浜の温泉旅館が廃業した。ミカン畑の山を背負った海岸の旅館だった。四百八十四メートルの深さから温泉をくみ上げていたのだが、ご主人の仁藤潤太郎さんがお年だということで、やめる決心をされたのである。長年使ってきた温泉井戸だけに仁藤さんには愛着があった。なにか使い道がないだろうか、できれば科学のために使ってほしいと思われた。
静岡県庁の地震対策課を通じて私のところに話が伝えられた。私は当時、精密地下水温計というものを作り始めていて、水晶を使った感度が良いセンサーをなるべく深い井戸に入れて観測を続ける機会を探していた。こんな深い井戸を新たに掘るとすると大変な費用がかかる。それを無償で提供してくださるというのは願ってもない話だった。
その温泉を掘った函南町のボーリング会社の中村龍雄さんが温泉の井戸に入れてあったエア・リフト管を抜き取ってくださった。管が入ったままだとセンサーを井戸の底に入れられない。なかなかの工事だったが、中村さんもお金を受け取ってくださらなかった。
こうして私の研究である精密地下水温観測は二十二年目に入っている。観測の機会を与えてくださっただけではなくて、その後も観測を温かく見守ってくださった仁藤さんも中村さんも故人になった。今でも潤太郎さんの夫人とよさんと子息である欽五さんが毎月、観測機械の記録紙を取り替え続けてくださっている。
私が作った機械は地下水の温度を千分の一℃の高い精度で測り続ける。北海道をはじめ、アイスランドや中国など外国にも置いてある。北海道の有珠火山では噴火に関連する千分の五℃の水温の変化をとらえたし、北海道東部やルーマニアでは、地震に関係する変化を記録した。
一方、静岡の井戸では、今までのところは、地震と関連する変化はとらえられていない。しかし、わずかだが変動している普段のデータを蓄積することが、将来の変化をとらえるために必要なのだ。
同じ観測機械は他にも置いてある。新居町が持つ井戸、御前崎や網代の測候所の構内にある井戸などだ。地元や気象庁の方々のおかげで観測が続いている。
一人で研究ができる数学や物理学とは違って、いろいろな方々の好意や協力があってはじめて研究が進められるのが地球科学というものなのである。
2001/08/20
■日本の火山学、フランスの火山学
いまパリ大学地球物理学研究所にいる。ノートルダム寺院のすぐ近くのセーヌ川のほとりの一等地にあり、隣には広大な植物園と自然史博物館がある。パリ大学は、一階は円くて太い柱だけが林立していて二階以上がビルになっている不思議な建物だ。それぞれの柱にはエレベーターが入っている。
ここの廊下は壮観だ。科学者が撮った火山の噴火の大きな写真や、噴火のときに噴き出した火山弾や噴石のコレクションが廊下一面に誇らかに飾ってある。
日本では地震や火山は「悪玉」だ。それゆえ、私たち地球科学者の仕事は医者に似ているというべきだろう。地球の内部を調べて、「病気」である地震や噴火のナゾを解き明かす。予知や予防について研究するのが主な仕事だと一般には思われている。地球科学者は、いつテレビの前に引っ張り出されて医者としての責任を問われるかわからない。
一方、フランス本土には火山はなく、地震も起きない。つまりフランス人にとっての地震や火山とは、同胞を痛めつける悪玉や病気というよりは、人力の及ばない自然の驚異なのだ。それゆえ地球科学者は、探検家や自然探求者と同じように、世間の尊敬を集めることができる。
火山を研究する手法そのものは日本とそれほど違うわけではない。しかし、そもそもの研究の動機が違うから、それが研究の違いになっている。明日の噴火を予知することや、明日の災害を防ぐことに最重点が置かれている日本の研究と、地球の息吹を探る自然科学としての噴火の研究の違いである。
フランス人たちが火山を研究する動機は不遜に見えるだろうか。これが雪の結晶の研究ならば、美しいから研究するといって天下に恥じることはない。それが災害を起こす火山ゆえに、日本では、同じように美しいとは言いにくいのである。
じつは、火山そのものは災害ではない。そこに人が住むから災害になる。噴火も地震も地球の歴史とともに繰り返してきたものだ。日本列島もそういった地球の息吹を繰り返しながら作られてきたものなのですよ、とテレビに引っ張り出されることを恐れながら日本の地球科学者はつぶやいてみるのである。(フランス・パリにて)
2001/08/14
■地震予知の公開バトルロイアル
科学は国際的なもののはずだ。日本での物理学や数学の法則とドイツの法則が違うわけはない。しかし、地震予知の研究だけは、国によって、大きな温度差がある。たとえば、米国でも欧州でも、地震予知をうたった研究には研究費は出ない。審査でふるい落とされてしまうのである。つまり地震予知は研究に値しないというのが科学者の合意になっているからである。
『ネイチャー』という英国で発行されている科学雑誌がある。世界で最も権威がある科学雑誌だと言われている。幸い私はこの雑誌に筆頭著者として三つの論文を採用してもらったことがあり、おかげで科学者の中では、いまだに大きな顔ができる。
その『ネイチャー』が二年前に七週間連続で、地震予知について、公開討論をしたことがある。同誌のホームページで、世界の科学者の意見を集めたのである。
ホームページだから、反応がすぐに来る。ある週に出たことが、次の週には賛否両論が世界中から集まることになった。いわば、同時進行の公開バトルロイヤルである。
活発な議論が行われた。最後の週に、討論のまとめが出ている。それによると、一般の人が期待するような地震予知はほとんど不可能で、本気で研究するのには値しない、とある。
では、日本はどんな主張をして、どう受け入れられたのだろう。日本は二千億円を超える研究投資と、地震予知計画で得た数百人の要員を擁する世界有数の地震予知大国なのである。
奇妙なことだった。誰でも参加できるこの公開討論に、日本人は誰一人として参加しなかったのだ。代表を送り込んだわけでもない。内弁慶、と言われてもやむを得ないだろう。
日本の大学の中では群を抜いて多くの地震予知計画の予算と人員を入手した東京大学地震研究所という組織がある。ここには「地震予知情報センター」という部門がある。
しかし、この部門の英文名称は、日本語に訳せば「地震の情報センター」になっている。つまり「地震予知」を意識的に省いてしまっているのだ。
対「外」的な名前だけは、すでに、十分に国際的になっているのである。
2001/08/06
■地震予知競争の「勝者」と敗者
先週号で書いたように、一九九九年八月にトルコの西部を大地震が襲い、公式発表で一万五千人、地元の学者によれば四万人を超える大変な犠牲者を生んだ。実は、この地震の震源では英国、ドイツ、日本がそれぞれトルコと協力して、地震予知のための観測を展開して地震を待っていた。北アナトリア断層に沿って次々に大地震が起きていたから、次はここに違いないと予想されていたのだ。
英国やドイツでは自国には大地震は起きない。このためトルコを地震予知研究のフィールドにしていた。この大地震のすぐ東隣では一九六七年、その東隣ではその十年前、さらに東隣ではその十三年前にそれぞれ大地震が起きていたから、多くの地球科学者は次の地震を七〇年代か、遅くとも八〇年代に予想していた。
しかし、最後の大地震から三十二年間もなにも起きなかった。このため英国は数年前に研究費が尽きた。観測から撤退してしまったのだ。
ここでは断層は南北に枝分かれしている。どちらに地震が起きるかは予想できなかった。ドイツは断層の北の枝に、かなり遅れて日本は南の枝に、それぞれ観測網を敷いた。
そして、地震が起きた。ドイツの観測網のすぐ近くだった。地震の直後に欧州での学会で私に会ったドイツの観測の責任者Z先生は「勝った。これで十六年も待った甲斐があった」と言った。一般の人には不謹慎に聞こえるに違いない。結果を予測して現象が起きるのを待っていた科学者としての率直な感慨なのだろう。
しかしその後、事態は一挙に暗転した。地震、地殻変動、地球電磁気、地球水の化学成分など、考えられるあらゆる観測をドイツ流の完璧さで展開していたのに、どれにも前兆は記録されていなかったのだ。日本の観測網も同じだった。
以後、ドイツのZ先生と日本の観測の責任者であるH先生のトルコでの評判は地に落ちた。救世主かと見えたのに、なんの警告も出してくれず、午前三時という人々が寝静まっていた最悪の時刻に、大地震が人々を襲ったからであった。
Z先生はドイツでも針の筵(むしろ)に座っている。研究費は打ち切られ、科学者としての将来も疑われるという。
数学者や天文学者だったら、こんなことにはなるまい。地球科学者ゆえの悲劇というべきであろう。
(トルコ・イスタンブール郊外にて)
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