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| 「英語教育の低年齢化を考える」 対論 (03/09/28) |
| 公立小学校への英語教育の導入が進んでいます。国際理解に関する学習の一環として、総合学習の時間に英会話などを取り入れることが可能になり、すでに全国の半数以上の公立小学校で、英語に触れる授業が行われています。しかし英語の早期教育については、より自然な英語の習得が可能になると期待される一方、英語優位主義を刷り込む可能性があるなど異論も根強くあり、意見が分かれるところです。第一回は、導入積極派の中山兼芳富士常葉大教授と、慎重派の大津由紀雄慶応大言語文化研究所教授のお二人に、是非を伺いました。 |
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─英語という言語を学ぶことの意義をどう位置づけますか。 「まず押さえておくべきことは、英国や米国の言葉としての英語ではなく、国際語としての英語を学ぶのだということです。現在、世界的に通用する言語は英語しかない。英国人や米国人が使うような英語を身につけようというのではないのです。自分の考えを相手に伝えることができるだけの正確さがあれば、ある意味で十分。ボーダーレスの時代、共存のための何らかの共通言語はどうしても必要です」 ─小学校から学ぶことで、どんな利点があるのでしょうか。 「九歳ぐらいまでは、あらゆる言語を聞き分け、発する能力があります。人間性を育てる意味でもメリットが大きい。知識欲、好奇心が非常に強いこの時期に英語を学ぶことにより、世界にはさまざまな表現、考え方の違いがあることに気付きます。異文化・異言語に偏見のないこの時期に、互いの違いを認め、尊敬し合う体験を持つことができれば、将来国際的な視野と見識を持って他国の人々と共存共栄を図っていく上で、大きな力となるはずです」 ─早期からの英語教育の成果として、何を最も期待しますか。 「異質なことは個性であり、良さであるという感覚を身につけること。日本の文化には、同じことを良しとし、違うものを排除する傾向がある。しかし世界の多くは、個人主義の社会で、個が独立していることを求める。例えば日本語には依存的な言葉が多く、初対面のあいさつでは、『よろしくお願いします』と言います。英語では同じ場面で、「会えてうれしい」としか言わない。そういう違いがある。日本の文化を否定するというのではありませんが、一歩外へ出れば、違う常識があるということを認識するのは重要です」 ─小学校における英語教育はどうあるべきでしょうか。 「誤解もあるのですが、今まで中学からやってきたようなカリキュラムを前倒しするのではありません。小学校の段階では、言葉を使いながら学んでいくことを考えるべき。声の調子、顔の表情、ジェスチャーなどあらゆる表現を駆使し、ゲーム的要素も取り入れて、創造力、思考力、類推力を育てる授業を組み立てなくてはなりません。言葉はあくまで結果として身につけばいい。英語に自信のない先生は、子どもと一緒に学ぶ姿勢で取り組んでほしい。今は良質な音声教材もたくさんあります」 ─指導者不足の深刻さが指摘されています。 「ALT(外国語補助教員)については安定供給や質の確保に問題があるため、国内で一定の能力のある人を選んで、現場に送る必要があります。そうした問題意識から今年、全国の英語教育関係者と協力し、『小学校英語指導者認定協議会』をNPOとして創設しました。趣旨に賛同する全国の英語教育団体に加盟を呼び掛け、共通のカリキュラムで指導者の養成講座を運営してもらい、協議会が資格認定します。仕事として認知されやすくなり、優秀な人材を呼び込めると期待しています」 ─日本人の英語能力は低いと言われてきたのはなぜでしょうか。 「英語教育が自ら発信することを重視してこなかったせいでしょう。ALTの授業も自国について語ってもらうとか、非常に受け身。言葉は本来自分を相手に知ってもらうためのもの。まず自分はこうであるという発信をして、その上で相手はどうなのかと尋ねる態度こそ大事。それが異文化理解です。自文化を振り返ることにもつながる」 ─早期教育が英語の優越性を植え付けるという声もあります。 「インターネットや出版物、あるいは国際空港の案内表示など、英語がいかに広く用いられているかを統計的に示す必要があるでしょう。日本文学も、ドナルド・キーン氏など優秀な翻訳者がいたからこそ、世界で注目を浴びるようになった。そうした例も挙げて、よりよい共通理解のための英語であるということは、十分強調しなくてはなりません」 |
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―一般に、早く学び始める方が、より良い英語が身に付くと考える人も多いと思います。 「その根拠としてよく挙げられるのが、六、七歳までと言われる言語獲得の臨界期、敏感期などと呼ばれるもの。これを超えるといくら学んでも完全な習得は難しいといいます。しかし外国語学習の場合にもこうした限界が確かに存在するかどうかは、きちんと立証されていない。英語を母語としない人が、英語圏に入って生活をする場合、六、七歳までならネイティブ同様の英語力を獲得できるというデータは見たことがあります。しかし、これはあくまで英語圏に暮らす場合の話で、公立小学校に英語教育を導入することの根拠になるとは思えません。英語に触れる時間も、触れる英語のレベルも全く異なるからです」 ―小学校から英語を始めても、効果は上がらないのでしょうか。 「私学では幼児、児童の英語教育に長い歴史がある。にもかかわらず、そうした一貫校などで学んだ学生が英語に堪能かといえばそうではないでしょう。慶応も早期から英語をやっていますが、経験的に言っても、幼稚舎から持ち上がりで来た大学生と、受験で入ってきた大学生の間に英語の力の差が歴然とあるかというと、そんなことは全くありません」 ―指導者の質の問題も指摘していますね。 「小学校への導入が、無益なだけでなく害になると言いたいのは、そこです。公立では英語専門の先生はほとんどいませんから、悪く言えばにわか仕立てになる。RとLの発音の区別ができない先生に教われば、子どもはある意味誤った英語をいったん習得してしまう訳です。これを白紙に戻すのは大変なこと。RとLは端的な例ですが、これに類することは山とあります」 ―ALT(外国語補助教員)を増やす動きもありますが。 「予算がかかりすぎて、公立小学校で常駐できるところは少ないでしょう。どうしても手薄になります。さらに最近は、ALTの質の低下も指摘されている。音声教材を活用すればいいという議論もありますが、そういうものを使って学ぶだけならば、何も学校でやる必要はないでしょう。現場にいい教材を選ぶ目が十分にあるとも思えません」 ―きちんとした英語が身に付かないこと以外に、弊害はありますか。 「数ある言語の中でなぜ英語なのか、という説得力がないままに教えることで、英語優越主義を植え付ける危険があるということですね。英語という言語、あるいは英語を使える人が、他に比べて優れているという誤解です。言語は日本語でも英語でも、あるいは手話でも、基本的な構造や機能は同じ。優劣などありません。現在、英語が広く使われているのは、単に政治的、経済的、軍事的理由で、より多くの人と意見を交換するのに都合がいいというだけ。そうした前提を踏まえなければ、異文化理解どころか正反対の結果になる」 ─日本人は英語を話せない、と言われてきました。これまでの英語教育の何が問題でしょう。 「小学校でやるべき言語の基盤ができていないことが大きい。幼少期は言葉の持つ豊かさ、面白さ、怖さを実感させ、言語との根元的な関係を作る大事な時期。それには、言語感覚が直接的な母語(日本語)の方が効率がいい。言葉を客観的にとらえ、どうやったら自分の意図が明確に伝わるかといった言語の客体化にも大切な時期です。英語はそこを固めた上で学ぶべき。英語教育と国語教育は言語教育として本来一体のものととらえるべきです」 ―英語に特別堪能になる必要性はない、ということでしょうか。 「バイリンガルを育てることがいけないと言っているのではない。公立小に英語を導入しても、バイリンガルは育たないと言いたいのです。多言語を学ぶ意義はもちろん大きい。異なる言葉やそれと結びつく文化を比較してみることで、多元的な視野を持てるようになる。ただし、もしご自分に小学生のお子さんがいたとして、今のような環境で英語を学ばせたいと思うか、もう一度考えてみてほしい。その意義を感じる人は少ないのではないか」 |
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| ■次回10月5日も「英語教育の低年齢化を考える」インタビュー 対論はいかがでしたか。早期の学習でより質の高い英語が身につき、人間性の育成や異文化理解が促進されるという期待感に対し、早ければいいという根拠はなく、日本語の言語基盤を先に確立させるべきだという慎重な意見が提示されました。みなさんはこの問題をどう考えますか。次回は幼児英語教育や通訳、翻訳の専門家に意見を伺い、引き続き英語教育の低年齢化について考えます。 |