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| 「英語教育の低年齢化を考える」 インタビュー (03/10/05) |
| 「英語さえ自由に話せたら」―。こう思ったことのある人も多いはず。日本人は英語がしゃべれない、という評価もあります。総合学習の一環として進む公立小学校への英語導入は、そうしたコンプレックスを解消する手だてかもしれません。しかし、グローバル化に反発する動きも目立つ国際社会において、英語がどんな意味を持つのかは、もう一度よく考え直してみる必要もありそうです。英語教育の低年齢化を考える第二回は、導入に慎重な立場を取る立教大大学院異文化コミュニケーション研究科鳥飼玖美子教授と、児童英語教育を推進する松香フォニックス研究所松香洋子所長のお二人に持論を語っていただきました。 |
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─公立小への英語教育導入には、どんな懸念がありますか。 「まず、公立でやるのと私立でやるのとでは意味が違います。私立は嫌なら選ばなければいいのですが、公立では避けられません。今はまだ、あくまで国際理解教育の一環として英会話をやってもいいという段階で、押しつけてはいないという逃げ道がある。しかし案の定、一般的には国際理解教育イコール英会話、と短絡的に飛びついてしまいました」 ─国際理解教育として、英会話を教えることの何が問題ですか。 「本当に英語を学ぶことが国際理解教育になるのか、考える必要があります。日本にいるとグローバリゼーションというのはきれいに聞こえる。しかしそれではなぜ、グローバリゼーションに反対してWTO総会やサミットが開催されると反対デモを開く人がいるのか。グローバリゼーションの内実はアメリカナイゼーションだからです。世界各地でアメリカの言語、文化、価値観に巻き込まれてなるものか、という激しい抵抗がある」 ─英語一辺倒では、国際社会の実情にそぐわないということですね。 「世界は多言語、多文化主義を尊重して進んでいこうという動きもあります。EUが良い例です。英語さえできれば世界中で好意をもって迎えられるかといえば場合によっては反感を買うことさえある。小学校で英語を教えるということは、考える素地もないころから、英語さえできれば世界で通用するという無言のメッセージを与えることです。その怖さはよく考えるべき」 ─本来の国際理解教育とは何でしょう。 「世界には日本とは異なる文化、言語があって、きれい事ではない価値観のせめぎ合いがあるということを教えること。異質なものに開かれた心を育てることです。教材はごく身近にもあります。例えば国内には在日ブラジル人の極端に多い地域がある。同じ社会に住みながら、違った世界を生きています。日本の社会はそういう異質さを隔離し、遠ざけてしまっている。わが町にいる住人の困難を無視してみんなで英語を学ぼうなどというのは、国際人でなく英語おたくを育てるだけ」 ─教科としての英語を教えることについてはどう考えますか。 「まず優秀な教員の確保が困難でしょう。数年程度で簡単に養成できるものではありません。言語の成り立ちや音の特徴をどう教え、発話できるようにするか。導入部を教えるのは最も難しいこと。ネイティブに教えさせると言いますが、英語を話せる、ということと、教えられるということは全く違います。発音一つとっても、日本人にとって何がどのように難しいのか分からない。導入期に、きちんとした英語を教えないと、後になって学び直すことが至難になります」 ─教科として導入されると、どんなことが起こってくるでしょうか。 「すでに英語塾通いは過熱し、親が過大な期待を抱いている状況があります。教科になり、成績が付けばなおさら。子どもを英語に駆り立てて、これ以上忙しくするべきではありません。少年犯罪を語るまでもなく、子どもたちがまっとうに育っていないのは誰もが感じていること。子どもの心をどう育てるか。それこそ大事です」 ─小学校で学ぶべき基礎は何でしょうか。 「すでに述べたように異質なものに対する開かれた心を育てることと、コミュニケーション力を付けることです。コミュニケーション力は、反対意見にぶつかった時でも、おくすることなく、けんかせず、泣いてしまったりあきらめたりせず、きちんと自分の考えを説明できる力。この力が育っていないと切れる。学校も子どもが自由に物を言う環境になっているでしょうか? 先生の言うことを聞きなさいとか、授業中はおしゃべりするなとか。もっと話すことに積極性のある子どもを育てていくべきでしょう」 ─日本の英語教育についてどんな問題を感じますか。 「日本での誤解は、コミュニケーションに使う英語を身につけたいなら、あまり文法をやってはいけないと思い込んでいるところ。コミュニケーション能力というのは、文法や語彙(ごい)などをベースに、運用面の能力を加えた包括的な力です。本当の意味で話をしようと思ったら、文章を組み立てる力は絶対に必要。会話の中で関係代名詞だって使えなければだめです。さらに最近はメールなど書き言葉を使ってのコミュニケーションも増えています。単純な会話ができるだけでは足りません」 |
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―早期教育の意義はどこにありますか。 「一つは言語習得面でメリットが大きいということ。言語習得は子どものものです。年齢が上がるほどやりにくくなる。子どもは身体全体で言葉のリズムをとらえたり、発音のまねをするのが上手です。別に英語だけでなく中国語だってタイ語だってまねができるのですが、せめて英語だけでも子ども時代に十分聞いて、それをまねして、たくさん声に出しておくと一生楽です」 ―中学生、十二歳では遅いのでしょうか。 「そこが早期教育のもう一つの意義ですが、中学生くらいになると、態度面に課題が出てしまうんです。言語習得能力としては十分ですが、日本という社会の中で、だんだん色が付いて日本人的になる。恥をかきたくない、と黙ってしまう。一番自意識過剰で、一番ものを言いたくなくて、一番周りのことが気になる時期でもあります。そんな状態で英語を始めて、積極的に話せ、という方が無理」 ―心理面を考えると、小学生から始めた方が有効ということですね。 「日本人の英語に対する心的なバリアといったらすごい。これほど英語ができないと思っている国民も珍しい。大学を出たとしたら十年もやっていて、あいさつや簡単な会話ができないはずはないんです。どうしてみんながそう思えないのか、それが大問題。もちろん優れた言語習得の能力がある人はいつからやってもできる。ただ、国民みんなが英語くらいなんとかなる、という気分になるには、公立小を押さえるしかないでしょう」 ―小学校の英語教育はどうあるべきでしょう。 「世界の英語メディアというのは、スピーディーで多量。のんびりマイネームイズ、なんてやってちゃ追いつかない。世界を走っている英語の音声に慣れ、それを御していくための素地を作らなくてはなりません。スピードの速いものを聞かせて、その中から分かるものだけ分かればいい、という逆転の発想をしないと。小学生くらいなら大量の英語を聞いて、全部は分からなくても、平気でいられます。大量の情報から何かをつかむことも得意です」 ―どんなカリキュラムが考えられますか。 「小学校では英語の発音、リズム、そして自信の獲得が重要です。まず最初は歌を歌って英語のリズムと音を聞き取ってまねする。それから絵本を読んでもらってまねする。三年生くらいから簡単な会話。ここで会話の決まり文句を覚える。五年生で初めて文字を対応させて、六年生になったら自己紹介させたり、自分のことを話せるようにして自信を付けてやる。ここまでこなせば、中一からは英語で英語を教えるような授業も成立するでしょう」 ─指導力の不安が指摘されています。 「小学校の先生によく言うのは、学級担任は自分で教えるというより司会者になって、英語活動を楽しく演出してください、ということです。ビデオでも何でもしっかりした分かりやすい音声教材を使って、繰り返し聞かせてほしい。良質な教材を提供して、子どもにやらせてみれば、びっくりするくらいできます」 ―英語アレルギーの子どもを作ってしまわないかという声もあります。 「言葉は、環境さえあれば誰でもしゃべれるものです。他の教科のように理念や概念を理解したり、覚え込む訳じゃない。落ちこぼれができるようなものではないし、授業で極端に難しいことをしてもいけないと思いますね」 ―英語優位主義を植え付けるという意見についてはどうですか。 「英語はもはや、アメリカやイギリスだけの言語ではありません。意思疎通のための道具というだけ。アメリカ、イギリスの言葉だから世界を席けんしているのではない。グローバル化は止めようがありませんし、未来に生きる子どもたちにそこで生きるためのスキルを与えることは、大人の義務です」 ―国際理解教育についてどう考えますか。 「英語教育と一緒に考えることには疑問を感じます。あまりにも幅が広がりすぎる。あるところではカレー作って、あるところではアフガニスタンに募金して、あるところでは核の勉強をして、と結局何をやっているのか分からないということになる。英語という入り口から入って、そこから先は英語を使って、自分の言葉で異文化を理解していくのが筋でしょう」 |