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| 「他人事ではいられない! どうなる裁判員制度」 投稿 (04/02/29) |
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(1)現在、裁判のプロが世の中の常識からかけ離れた判決が多いので一般常識を反映させると言うのが一般に説明されている理由のようですがこれは法律を制定する立法府に責任のあることで裁判官の責任ではないのではないでしょうか? 現在の法律の下で判断を下すと一般の常識とかけ離れた判決が下されても不思議はないと思います。 (2)裁判の対象となるのは凶悪犯罪と報道されていますが、一般人が判決が常識からかけ離れていると感じているのは、議員の不祥事、環境問題、企業の法律違反等だと思えます。従って、ここにも、政府との感覚の相違があります。 (3)裁判員制度の対象は一審のみとなっていますが、対象となる裁判の性格上、控訴されることは間違いないことで、そこでは一般常識の入る余地はなくなりますので、一審で一般常識を導入してもあまり意味がないように思えます。 (4)情報の漏洩は刑事罰が前提となっていますが、これは大きな間違いです。裁判の結果がどうであろうと判決に至った経過は明確に示すべきです。ただし、誰が発言した、誰の意見か等の個人的情報、意見は絶対に公にすべきではありません。この件は報道機関にとっても義務であり、これを破った報道機関は営業停止にするくらいの罰則をつけるべきでしょう。大体公務員にも罰則があるからとの報道も伝えられていますが、公務員は仲間意識が強く実際には処罰されることはほとんどないのが実情でかばってくれる組織のない裁判員には不利と思えます。 (5)裁判員としての仕事をした場合の負担は、現状の日本の社会風土からして想像を超えたものとなるでしょう。最低でも経済的補償は十分に行うべきです。サラリーマンなら悪くすると解雇、良くても評価下げ(特に昨今成果主義がもてはやされていますので)を覚悟する必要があります。法律で禁止しても無駄だと思えます。 法律さえ制定すればそれでよしとする政府のやり方を押し通すとせっかくの裁判員制度も国民の負担だけになるでしょう。国民が権利として参加できる納得できる内容にしてほしいものです。
(静岡市、60歳、無職)
自他共に認める「法曹界の常識は、社会の非常識」。罪を犯しても甘い裁定に犯罪は増え、被害者は泣き寝入りする。しかも、長期で金がかかる裁判にちゅうちょしたり、審理中に息絶える人も多いと聞く。司法制度改革審議会も踊るばかりで、改革は進まない。 そうした現状の中で、市民が参加する裁判員制度は取り入れる価値が大きいと思う。改憲論が具体化する中、是非法曹界に関する部分も現実に合った改憲が必要と思う。 スポーツ界でも、プロとアマチュアが融合する傾向がある中、法曹界にも大いにアマチュアが入ることによって、プロ意識を高めていただきたい。医療界もずいぶん変わってきて、隠されてきた部分が表面化して、改善の方向にすすんでいるように思う。法曹界もそうした趨勢(すうせい)に従って、改善する部分があれば改善できるような体制をつくるべきである。そうすれば、問題になっている悪徳弁護士も減ると思う。
(焼津市、まささん、46歳、会社員)
この点について、参審制と陪審制という違いはあるものの、米国の現状との比較によって検証を試みたいと思います。 例えば、仕事の打ち合わせで取引先に電話を入れた際「彼は、Jury Duty(陪審員の義務)で出社しておりません。代わりに○○が引き継ぎます」と応答が返ってくることがあります。米国では、こうしたことが時としてあり、社会全体が制度をバックアップするようになっているのです。はたして、日本の企業がこのような制度をどこまで受け入れることができるでしょうか。 また、個人においては、隣人とのトラブルを禍根なく解決するために裁判を利用する国民性と、隣人といさかいなく暮らすために多少のトラブルには目をつぶってしまう国民性との違いは大きなものがあるように、私には思えます。裁判への親近感をどのようにはぐくんでいくのかは極めて重要なポイントです。 さらに言えば、教育の場において司法への理解をより深めるカリキュラムが組まれるとともに、自由に意見を述べ合い結論を導くというシミュレーションを日常的に行なうための手をどう打つのかなど、裁判員制度の導入は、多くの課題を投げかけているのではないでしょうか。
(静岡市、弓削正秋、40歳、コンサルタント)
しかし、クジで選ばれた人が近所でも評判のウワサ好きの人だったらどうなるのでしょうか。クジではふさわしい人が決められないと思います。 裁判員はシロウトです。一人の人生を決めてしまう大切なことです。裁判員制度を本格化するにはまだまだ考える余地がありそうです。
(静岡市、みこちゃん、57歳、主婦)
まず裁判官三人、裁判員六人の構成であるが、裁判員の数が多すぎるのではないか。十五日のトークバトルで元最高裁判事の方が述べておられるように、裁判の主体は裁判官であり、社会常識などいくらか不足する部分を裁判員が補助、協力するのが趣旨であろう。今回案の構成では、素人である裁判員のほうが多勢であり、適正な裁判になるのか疑問が残る。元札幌地検検事正の方が危ぐされておられるように誤判、無罪判決が増えることになりはしないか。 次に裁判員選任方法の問題であるが、まず有権者名簿から「くじ」で裁判員候補名簿に登載とあるが、これが理解できない。仮にも「人を裁く」という大事を任せるのに「くじ」が適当なのか。ある程度の知識、人生経験そして意欲のある人を募ることが筋であろう。
(掛川市、森下慶一、49歳、会社員)
例えば、被害者のように直接の関係者であれば、良きにつけ、あしきにつけ意見を述べたいと思うが、第三者の場合は人ごとになりやすく、真剣に勉強して意見を述べることができるか分からない。おざなりの裁判員ならないほうがよい。 私は、裁判員になる人は、それだけの意欲のある人、見識と熱意のある人でなければならないと思うので、裁判員を志願する人の中から、裁判の都度、無作為に選んでもらったほうがよいと思う。
(静岡市、石井長一、82歳)
「三人寄れば文殊の知恵」とはいっても、法律の素人がたった六人で、三人の裁判官に太刀打ちできるとは思えない。たとえ間違った判決が出ても、裁判員が参加していることで裁判官の責任逃れの材料になる可能性もある。 テレビなどの発言を聞くと「しっかりした意見を持っている人よりも、他人の考えを聞いて考え方が変わる人の方が良い」という。確かに考え方の柔軟性は必要だろうが、裁判官の考えに丸め込まれる心配もある。 私は裁判員になりたくない。国民を「社会的な経験の豊かな…」と持ち上げ、裁判員として裁判に参加させる本当の趣旨が分からない。というより国家の本心が怖い。
(静岡市、門外漢、56歳、主婦) |
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■次回(3月7日=日曜日)は「驚き?妥当?発明対価200億円」 インタビュー 青色発光ダイオード(LED)特許訴訟で、開発者に対し200億円を支払うよう企業に命じる判決が出されました。これまで個人の成果として世に認められていなかった“サラリーマン研究者”にとっては朗報と言えますが、一方の企業側にとっては存立基盤そのものを揺るがしかねない、との声も聞かれました。これからの企業の在り方や研究者の生き方を一変しかねない司法判断をどうとらえるべきか。企業、研究者の主張を聞き、「科学技術立国」を目指す日本の今後の針路を考えます。 |